かぶとむしアル中

取材現場を離れて久しい新聞社員のブログ。 本の感想や旅行記(北朝鮮・竹島上陸など。最初の記事から飛べます)。

北朝鮮竹島イラン旅行記
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国父様、再びコミカル路線に?/「西郷どん」第四十話

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西郷隆盛は、岩倉具視大久保利通らに促され上京。政府内の対立に直面しながらも、薩摩藩士を中心とする御親兵を組織し、廃藩置県を断行しました。

これまでとは打って変わってがっつり政局の話になりましたが、盛り上がるのはもうちょっと先・・・といったところでしょうか。

島津久光大久保利通に「見捨てられた」シーンが話題のようで須賀、またここでマザコンキャラ時代のコミカル路線に戻るということなのでしょうか(こんなことも始めたそうなので、まあそういうことなのでしょう)。www.nhk.or.jp

側近として県令になる大山綱良含め、微妙な立場を演じなければならない役どころにもなってくるので、演技のさじ加減にも注目です。

「抗議の切腹」の弟は伊勢神宮で不敬?/「西郷どん」第三十九話

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明治37年、京都。市長に就任した西郷隆盛の息子・菊次郎が、側近に父のことを話す形式で最終章はスタートしました。

明治2年、菊次郎は奄美大島の母・愛加那と離れ、父のいる鹿児島にやってきます。しかし、薩摩藩士・横山安武が上京して抗議の切腹をしたように、士族をはじめとする人々の新政府への不満は高まっていました。それを受け、明治政府は弟の西郷従道をして、隆盛を東京に呼び出すことにしたのでした。

いきなり菊次郎役の西田敏行が出てきたと思ったら、前京都市長役で時代考証磯田道史*1が出てくるというところで個人的にはお腹いっぱいなので須賀、2つだけ。

洋装の大久保利通、オープニング映像も含めてかっこいいので須賀、やはりここも急に迫力が出てしまっていて、なぜここまで新政府に重きをなしているのかはドラマ上よくわかりませんでした。まあ明治政府内の様子がしっかり描かれるのは次回以降でしょうから、正助時代からの流れの上にある大久保利通になっているかどうかは注目したいです。

もう一つは、いきなり出てきていきなり切腹してしまった横山安武です。彼は最後、西郷隆盛に対して暴言を吐いて去って行きま須賀、実際の遺言書には、「西郷先生が(薩摩)藩政に参画されるなら言うことはない」という趣旨のことが書かれていたそうです。

それはともかく、個人的に興味をひいたのは彼の弟に初代文部大臣の森有礼がいる点です。森有礼開明派という以上に「西洋かぶれ」として知られた人物だったようです。実際に「伊勢神宮で社殿の御簾をステッキでどけて中を覗き、拝殿を靴のまま歩き回った」との風評を立てられ*2、それを理由に大日本帝国憲法発布式典の日に暗殺されてしまっています。

実際に森有礼がそうした挙に出たかどうかは全く別の問題*3としても、明治政府の腐敗を批判して抗議の切腹をした人物と、「伊勢神宮で社殿の御簾をステッキでどけて中を覗いた」との風評を立てられた人物が兄弟だったというのは、なんだか興味深いですね。

 

そういえばこれを書いている2018年10月23日が、ちょうど明治改元150年なのだそうです。

*1:『素顔の西郷隆盛』という著作もあります

*2:「ある大臣」の行いとして新聞に書かれ、森であろうと噂されたようです

*3:事実無根との証言ももちろんあります

論争の書の冷静な議論/『帝国の慰安婦』(朴裕河)

 

帝国の慰安婦 植民地支配と記憶の闘い

帝国の慰安婦 植民地支配と記憶の闘い

 

韓国で内容を巡る裁判まで起こされた、慰安婦問題に関する論争の書です。と言うと、あるいは一方的で過激な本であるかのように思われるかもしれませんが、確かに韓国内に怒る人は多そうな書きぶりではあるものの、非常に冷静な議論を積み重ねた本だと感じています。

まず著者は、日本軍の慰安婦となった女性たちの境遇や経験の多様性を紹介していきます。その中には朝鮮半島出身者もいましたし、いわゆる「内地」出身者もいました。そして慰安婦とされた朝鮮半島出身女性の多くは、「いい仕事がある」と業者にだまされるなどして来ており、そこには朝鮮の業者もいましたし、「年頃の娘がいる貧しい家はどこか」手引きをする村人の存在もありました。

さらに言えば、当時朝鮮半島出身者は国籍上「日本人」とされましたので、「日本人」である朝鮮半島出身の慰安婦が自ら慰安所を運営したケースもあったそうです。

もちろん多くの植民地出身の女性が日本軍の関与(多くの場合は黙認)によって性的に搾取されていたのは事実であり、それが許されるという主張では著者も(そして私も)ありません。ただ、まさにソウルや釜山にある少女像が象徴するような、「20万人の少女が日本軍に強制連行された」という理解は、慰安婦の現実と乖離が大きい点を指摘しています。

その上で、彼女は韓国内外で慰安婦問題を強く訴えてきた挺対協の運動に批判的な目を向けます。

従軍した慰安婦たちが、構造的な強制の下にありながらも、しばしば性的な意味だけでなく日本軍の行軍を支える存在であり、そこには感情の連帯もあり得たこと、さらには先述のような慰安婦募集を手引きした村人の存在などは、日本から独立し、その植民地支配を否定することで新国家建設を進める動機とは齟齬をきたすものです。乱暴に言ってしまえば、対日協力者(いわゆる「親日派」)の問題と近い構造です。

そうした生の記憶を直視せず、ただ「少女像的な」被害者としてだけの側面を押し出すことは、真の当事者である元慰安婦に寄り添うことになるのか、著者は問題提起します。また、戦時性暴力の問題としての側面を前面に押し出すことは、国際世論化には貢献したものの、植民地一般の問題を後退させた*1と述べています。

さらには、1990年代に進んだ村山談話やアジア基金の流れを韓国の支援者らが受け入れず、日本の同調者も交えてイデオロギー対立的な闘争に持ち込んでしまったと指摘。それから20年以上を経ても、問題解決の糸口が見えなくなってしまった原因をこの点に見ています。

 

このように、当然日本軍の一定の関与については批判しつつも、慰安婦問題への韓国社会の向き合い方を反省する(反省を促す)議論になっています。

著者が「帝国の慰安婦」と呼んだ側面が、慰安婦の方々のありように現れていたのは事実だと思います。そもそも慰安婦のルーツともいえるのは日本からアジア各地に出て行き、現地で駐在する日本人男性らの相手をした「からゆきさん」たちであり、そもそもそうした女性たちは、ある帝国が国外に政治経済的な影響力を扶植する手段の一つのように機能した*2、という指摘は印象的でした。

日本の植民地支配という構造的な強制性の下で、さまざまな「協力」を強いられた。その苦渋に満ちた構造から慰安婦問題を捉える重要性は腑に落ちました。ただそこは著者も言うように、植民地支配を脱してできた大韓民国アイデンティティにとっては「古傷」のようなものです。構造的な圧力が加わっている場合の内在的理解とはどうあるべきか。かさぶたのめくり方が相当難しかったことは、この本を巡る出版後の経過が物語っているところでもありましょう。

あと一つ言うなら、これは韓国の人が韓国に向けて書いているという側面があるからそういう言い方になるのでしょうけれども、政治的にどこで折り合っておけばいいかという議論はあるにせよ、やはり謝るということは、そうする以上謝った相手方に一定の理解をいただかなければ仕方がないのではないかと思います。著者が引用するように、いかにアジア基金が「民間を建前にした公的なもの」であっても*3、それこそ国家が政策として行ったことである以上、日本政府の立場として成功した政策であるとは言いがたいと思います。

いずれにせよ、この本がこれほど論争の書になったのには、短期長期の世相や言論環境が大きく作用していると感じました。まあ、流行も「炎上」もそんなものなんでしょうけどね。

*1:日本を批判する欧米諸国が、自らのかつての帝国としての振る舞いを反省するきっかけにならない

*2:ホームシックになってすぐ日本に帰ってこないように

*3:苦肉の策としての事情は十分理解できま須賀

ついに西田敏行が登場へ/「西郷どん」第三十八話

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戊辰戦争には西郷吉之助の弟・吉二郎も参加しましたが、越後で戦死の憂き目に。戦争後、吉之助は大久保一蔵に引退を告げて薩摩に戻り、髷を切るのでした。

南島暮らし時代も、京や江戸で奔走・奮戦していた時も薩摩の西郷家を切り盛りしていた吉二郎の死は吉之助にとってショックだったようです。陣中でも急性の鬱症状が出るほどだったといいます。

史実でいくと、この前後に吉二郎の妻は子供を出産したものの、夫の訃報が響いたということもあるでしょう、産後の肥立ちも悪く間もなく亡くなってしまいます。ドラマでは柏木由紀の見せ場もありましたが、この先はどうでしょうか。

あと吉之助と一蔵とのシーンで須賀、やっぱりああいうのが唐突なんですよね。「大久保一蔵がいれば大丈夫」という、あれとほぼ同様のセリフは「翔ぶが如く」の征韓論のところにもあって、あちらの流れの中では違和感のないセリフなのですが、今回の「西郷どん」の中ではあまり説得力がない。

これは一蔵が吉之助と心理的に支え合ってきた同志であることは描いても、幕末維新の政治過程の中でどういう役割を果たしてきたかはほとんど描いてこなかったからでしょう。前回も触れたように、この先はこの二人の関係が核になるはずなので、今からちょっと、不安は増すばかりです。

 

いろいろ言いましたが、今回個人的に一番印象に残ったのは予告編でした。これまで語りを務めてきた*1西田敏行がついに登場するようです。発言内容からすると、愛加那との間の子、菊次郎ではないかとも思えるので須賀・・・ここは注目したいです。

*1:翔ぶが如く」では主役の西郷隆盛役だった

今回大河らしい3人との会見/「西郷どん」第三十七話

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江戸城総攻撃を目前に控えた西郷吉之助は、天璋院篤姫勝海舟、そして徳川慶喜と会い、総攻撃の中止を決めます。しかし不満を持つ旧幕臣たちは上野で彰義隊を結成、戦は不可避の情勢となりつつありました。

天璋院勝海舟はともかく、(勝海舟に総攻撃取りやめを伝えた後とはいえ)徳川慶喜にも会いに行くというのは極めて「西郷どん」流でしたね。そもそも「ヒー様」と「牛男」の関係性すら流石に考えにくかったわけですけども、その「フィクションとしての逸脱」にケリをつけるにはこういう形しかなかったのかもしれませんね。

ここ数回、史実の展開を中途半端に追いかけていたせいか、物語として地に足がついていない*1感が強かったで須賀、篤姫といいヒー様といい、昔の関係性としっかりつながってはいたので、その点は良かったと思います。個人的には慶喜側室の「およし」の姿がないのがちょっと寂しくはありましたが…

 

ここから先は大久保利通(一蔵)の存在感が迫り出してくる展開になるはずで須賀、西郷隆盛主役のドラマとはいえ、維新革命の過程における大久保の影がちょっと薄すぎた気がしてちょっと不安です。

*1:話の筋自体がうまく通っていない

はてなブログに移行しました

この度、当ブログははてなダイアリーからはてなブログに移行しました。 はてなダイアリーが来年春に終了することを受けた措置です。 http://d.hatena.ne.jp/hatenadiary/20180830/blog_unify

まあブログ内でそんなに複雑なことをしているわけではないので、これまでのはてなダイアリーでも不都合はなかったわけで須賀、終わってしまうのなら仕方がないですね。

自分のための記録という側面も強いブログになってしまっていま須賀、どうか引き続きよろしくお願いいたします。

『日本統治下の朝鮮』(木村光彦)

日本が植民地支配した時代の朝鮮について、経済面からその変遷を論じた本です。
サブタイトルが「統計と実証研究は何を語るか」となっているように、統計データを駆使しつつ、植民地時代に農業・鉱工業ともに大規模化していったことが指摘されています。一方で、戦時中は北部を中心に軍需工場が多く建設されるなど、戦争経済への包摂も進んだことが述べられています。
客観的事実の紹介として見ていくと、やはり注目すべきは鉱工業発展が北部中心で進んだ点でしょう。日本列島(いわゆる内地)には乏しい鉱物資源に恵まれていたことから、日窒(後のチッソ)系列による興南の化学コンビナートや鴨緑江の水豊ダム建設など、戦争経済に直結する重化学工業の拠点はむしろ北に集まっていました。そうした朝鮮半島における各産業の集積度合いが紹介されており、その点勉強になりました。
ただ、データの分析で危なっかしいものが散見された印象も否めません。身長データについて循環論法っぽい扱いをしていたり、最後の方にあまり意味のなさげな数字を列挙していたりしており、そうした箇所は立論に難があるかなあと感じました。
まあ基本的には、「日本植民地時代の朝鮮は収奪されたいたように言われているけど、本当にそうだったのかを客観的に検証しよう」という本だと理解しています。著者としては一方的な収奪がなされたわけではないということを言いたいようで須賀、日本の戦争遂行のために重化学系の工場をガンガン建てられている時点で、それは遺産や恩恵というよりは収奪に近いような気がするんですけども…