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取材現場を離れて久しい新聞社員のブログ。 本の感想や旅行記(北朝鮮・竹島上陸など。最初の記事から飛べます)。

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納得ずくの開国・不平士族の明治維新/『日本政治思想史―十七〜十九世紀』(渡辺浩)

日本政治思想史―十七~十九世紀

日本政治思想史―十七~十九世紀

書名そのまま17〜19世紀の日本政治思想史を扱った本なので須賀、大きく分けて二種類の書き方がなされています。一つは、この時期の著名な政治・社会思想家の人生と思索を列伝的に紹介する手法です。伊藤仁斎新井白石荻生徂徠、安藤昌益、本居宣長、海保青陵、福沢諭吉中江兆民といった人たちで、それぞれを比較対照・連関させながら押さえていきます。制度化を重んじた儒学者・徂徠の学問が現実に妥当しそうにないことが明らかになった時に浮かんだ「日本人は優れているので、そもそも中国の政治制度は必要なかったのだ」という考えが、賀茂真淵本居宣長らの国学に流れ込んでいくという指摘は、この本が紡いでいく「物語」における一つの転換点だと言えるでしょう。
もう一つは、安定的かつ(外国に対して)閉鎖的な泰平の江戸時代から、堰を切ったように開国・明治維新・文明開化へと突き進んだ近代日本の大転換が、思想的にどのように準備されたのかを構造的に見るものです。いわゆる開国はペリーに脅かされて厭々そうしたというだけの話ではなく、「理」と「徳」を兼ね備えているという西洋観をも土台に、彼らの要求を「道理」と認めたが故のものである。明治維新の中核を下級武士が担ったのは、国難に際して志ある者たちが立ちあがった、ということ(だけ)ではなく、武士でありつつ(平和だから)武を振るう機会にも恵まれず、そもそも世襲の武士であることへの自己肯定が困難*1で社会的な威信もなく、ついでにお金もなかった―という彼らの「自己と他者の改革と破壊への衝迫」ではないのか。そうしたことを、当時の「世相」を幅広く読み解きながら論じていきます。特に下級武士の社会経済的地位の低さが明治維新の土壌となった、という指摘は、日本陸軍と2・26事件との関係として繰り返されているようにも見え、心理構造を含む「世相」を踏まえることの意義をよく示しているように思えます。
ごくたまに「政治思想史」と題する議論に接する度に、「ある時代の社会における政治への考え方が、特別な知的エリートの思想によってどの程度代表されるのか」という疑問を抱いてきたので須賀、この本で行われているような二つの論じ方が共存してこそ「政治思想史」を名乗るにふさわしいと思いますし、もちろん前者抜きに後者を語ることはできないのだという(考えてみれば当たり前な)ことをも教えてくれる一冊でした。

*1:家柄でなく才徳を重んじる儒学からも、「武者ノ世」ではなく天皇に重きをなす皇国史観からも胸を張れなかった