- 作者: 趙景達
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2012/11/21
- メディア: 新書
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反面、そうした所業に対する学問的価値判断というより感情的断罪と言うべき表現が目立ったのはやや残念でしたし、安重根が伊藤博文を殺害したのは「テロとは違う。安重根は参謀中将として正規の交戦行為として伊藤を射殺したのである」という主張はいくらなんでもちょっと無理がある*1と思います。
さらに言えば、この本は「政治文化の問題を基底にすえて概観した近代の日朝関係史」を謳っているので須賀、政治文化の概念を動員して近代日朝関係史に切り込むことができているかと言えば、それはちょっと難しい気がします。著者は近代朝鮮の政治文化を「一君万民の儒教的民本主義」に求めており、そのこと自体が間違っているとは思わないので須賀、ややもすればその一点張りになってしまっていて、「近代朝鮮では、民衆にも為政者にも儒教的民本主義の色濃い影響がありました、以上。」みたいな議論の域を出ていない感があります。それはやはり、そもそも政治文化は比較政治のタームだからであって、それこそ日本と比較して(本の帯にあるように)「なぜ異なった道を歩んだのか?」を探るつもりなら*2、もっと日本の側のことについて言及すべきだ*3と思うのです。
ついでに指摘しておけば、日本史に関する記述でこれはどうもおかしいんじゃないかと思う部分もあります。日朝の「攘夷」を比較するくだりで出てくる「日本において、薩摩と長州がそれぞれ薩英戦争(一八六三年)と四国艦隊下関砲撃事件(一八六四年)であっけなく屈している」というのは、砲台を占拠された長州はともかくにしても、その直前に出てくる朝鮮とフランス・アメリカとの戦闘への評価と比べてかなりバランスを欠いており、著者が戦争後のイギリスと薩摩藩が接近したことを「薩摩側が屈した」と解釈しているのか、あるいは単に日本史がよく分かっていないのかのどちらかなのだろうとは思います。まあこれについてあんまり言うと、売られた喧嘩を買っているように見えてしまうかもしれないので(笑)、やめておきましょう。