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取材現場を離れて久しい新聞社員のブログ。 本の感想や旅行記(北朝鮮・竹島上陸など。最初の記事から飛べます)。

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「大転換」を理解する前提知識として…/『政府の憲法解釈』(阪田雅裕編著)

政府の憲法解釈

政府の憲法解釈

9条を中心として、7月の集団的自衛権に関する解釈変更以前の政府による憲法解釈を解説した本です。一見今更感は強いですけれども(笑)、それこそ自衛隊の合憲性からPKOでの武器使用についてまで、従前の政府見解を非常に秩序立って紹介しており、実際に行われた国会での質疑もたくさん出てきますので、それらを理解した上で、焦点化されている集団的自衛権だけでない安倍内閣での安保政策の大転換をウォッチしていくためにもいい本だと思います。また私学助成と89条の関係など、私としては「そういえばこれ、どういう理解になってるんだろうなあ」と感じていた条項についての解釈も示されており、興味深く読むことができました。
それこそ解釈変更に至るまでの議論の中で「そもそも現行(従前)の9条解釈はガラス細工のようなものだ」という批判がよくなされてきました。それは確かに、そうだと思います。この本を読んだ上でも、2項の「交戦権」の解釈はやっぱり据わりが悪い印象を拭えませんでしたし、「武力行使との一体化論」も理屈としてあまり賛同しかねます。元内閣法制局長官の編著者が認めるところではないで生姜、もともと立っていた場所からどんどんずれた方向に積み上げていった結果、ピサの斜塔のようになってしまっている、とも言えるかもしれません。
ただ、だからといって今回の閣議決定による解釈変更のようなことが許されるとも到底思えません。以前少し論じたように、その立憲主義の冒涜というよりは無視とでも呼ぶべき振る舞いは、この喩えでいえば建物を建てる際のルールすら守らない耐震偽装のようなものと言っても差し支えないでしょうし、そんな手抜き工事の建物の上に、さらに「同(9)条2項の戦力の不保持や交戦権の否認の意味を説明することが極めて難しくなる」(著者)ようなモノを建て増そうとすれば、結果どうなるかは見えているかなあ、という気がするのです。
より細かく言えば、旧(と付けるべきか)自衛権発動の三要件のうち、三つ目の「必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと」は自衛権の発動が許容されるかどうかの判断基準ではなく、行使が許される限度である*1ので、「必要最小限度の範囲内の集団的自衛権がある」といった類の議論は成り立たない、というのが一つのポイントだったハズなので須賀、そこの部分を強引に押し切られちゃったのかなあという気がしました。
もちろん閣議決定は言わば行政府の一方的な宣言でしかないわけで、これから世論との絡みの中で立法府がどういう判断をしていくのかという部分も重要なんで須賀、個人的には、司法府が自らの、というより立憲主義の矜持を如何に示していけるか、そちらの方にも注目したいですね。
最後に、誰かおわかりの方がいらっしゃれば教えていただきたいので須賀、この本に出てくるような「政府の憲法解釈は、66条2項の『文民』の意味以外で揺らぐことがなかった」*2という見解と、終戦直後からの吉田茂自衛権に関する国会発言の変遷との整合性ってどうなっているんですかね? 「9条2項において一切の軍備と国の交戦権を認めない結果、自衛権の発動としての戦争も、また交戦権も放棄したものであります」てなことを言った(1946年6月26日)のは日本国憲法の公布・施行前だから、日本国憲法の解釈としてカウントしないんです、とかそういう意味なんでしょうか?

*1:「やるとしてもこの限度でやってね」

*2:もちろん今回以前の話です