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取材現場を離れて久しい新聞社員のブログ。 本の感想や旅行記(北朝鮮・竹島上陸など。最初の記事から飛べます)。

北朝鮮竹島イラン旅行記
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日和見主義者の同性婚考

焦点:再選目指すオバマ米大統領同性婚支持で大きな賭けに
オバマ大統領が9日、現職の米大統領として初めて同性婚支持を明言した。このタイミングでの同性婚支持表明は、自分の考えが「進化した」結果だとしているが、11月6日の大統領選での再選を目指し、計算の上で賭けに打って出たともみられている。
世論調査アナリストは、オバマ大統領は同性婚支持を表明することで、若年層からの熱狂的支持をつくり出し、穏健派や保守派の白人有権者から離れる票を補おうとしていると分析する。また、黒人キリスト教徒の間では同性婚は意見が割れているが、同性婚支持によって黒人有権者共和党ロムニー氏支持に傾く可能性は低いと指摘する。
調査会社イプソスのクリス・ジャクソン氏は、同性婚支持は過去数十年で、国民の過半数にまで広がっているとし、「戦略的観点から言えば、これが国の進んでいく方向であり、オバマ大統領は賢明な判断をしている」と語った。
オバマ大統領はこれまで、同性婚には曖昧な立場を取ってきた。しかし専門家は、前回の大統領選でオバマ政権誕生に貢献した35歳未満の有権者層の間で、同性婚問題は極めて重要だと指摘。民主党内からもオバマ大統領に対し、踏み込んだ発言をするよう圧力が高まっていた。
アメリカン・エンタープライズ研究所の政治アナリスト、ノーマン・オーンステイン氏は「若者にとってこの問題は決定的問題。時代遅れな姿勢を取っていたら、支持されるのは難しい」と述べた。
ロイターとイプソスが共同で行った世論調査では、35歳未満の登録有権者の間では、同性婚は認められるべきと考えている人が50%を超え、違法にすべきとの回答22%を大幅に上回った。調査は1月1日─5月3日の期間に7616人を対象に行われた。
<黒人有権者
同性婚支持の決断について、オバマ大統領は2人の娘の存在も影響したとも説明。娘のマリアさんやサーシャさんにも同性カップルを親に持つ友達がいると明かした。
オバマ大統領が同性婚支持を明言する3日前には、バイデン副大統領が同性婚を支持する発言を行っていた。政府高官によれば、オバマ大統領はもともと9月の民主党大会前には同性婚支持を発表するつもりだったが、バイデン発言でそれが前倒しになったという。
ロイター/イプソス調査によると、黒人有権者の間では、同性婚を法律で認めるべきと考える人の割合は30%にとどまり、全国平均を9ポイント下回る。しかし専門家は、それでも黒人有権者層のオバマ支持は揺るがないとみている。
ブルッキングス研究所の政治アナリスト、ウィリアム・ガルストン氏は「アフリカ系米国人は同性婚には概して反対だが、同時に、ホワイトハウスにアフリカ系がいることで感じる誇りは、同性婚問題の影響よりはるかに強いだろう」と述べた。
世論調査では、同性婚に反対する黒人81%が、ロムニー氏ではなくオバマ大統領に票を入れるとしている。
<政治的リスク>
一方、共和党活動家や保守的なキリスト教指導者らは、オバマ大統領のスタンスを批判するとともに、同性婚を支持しないロムニー氏の追い風になると期待する。イプソスのジャクソン氏も、保守派からの支持獲得に苦労しているロムニー氏を「少しは助けることになる」と認める。
他の専門家も同様に、同性婚支持を明らかにしたオバマ大統領に見切りをつけ、ロムニー氏に乗り換える保守的な白人有権者もいるとみている。しかし同時に、そうしたマイナス要因は、同性愛者や若年層から新たに得られる強力な支持で十分相殺できそうだという。
アナリストらは、オバマ大統領が再選を果たすには、同性愛者や若者からの支持が極めて重要だが、そうした層は4年前のオバマフィーバーに比べ、これまでは動きが鈍かったと分析している。
同性愛者の人権擁護団体ヒューマン・ライツ・キャンペーンのフレッド・セインツ氏は、オバマ大統領の同性婚支持は、11月6日の大統領選で35歳未満有権者が投票所に向かう大きな動機づけになる可能性があると語っている。
(5月10日、ロイター通信)

オバマ大統領がこのタイミングで同性婚を支持したというニュースは、やはりこのような視点で論じられるものなのかもしれませんが、私はあえて、別の話をしてみます。
私自身はこれまで、同性婚には賛成の態度を取ってきました。なので、このニュースを最初に聞いたときにも、なんだか嬉しくなったのを覚えています。
ただ、ここはちょっと先を急がずに「同性婚への賛成の態度」とは具体的に何を指し示すのか、念のため確認しておこうと思います。同性婚とは同性が婚姻関係を結ぶことであって、同性同士で愛し合う同性愛とは深い関係があるものの異なった概念です。そんな当たり前のことを偉そうに言うな、という指摘は至極尤もだとも思いま須賀、まさにそこの差についてちょっと考えてみようというのが今の私のモチベーションですので、なにとぞお許し願えればと思います。
同性婚と同性愛の違いは、まさに結婚ということに帰せられるでしょう。とすれば、この両者を共に認める考え方や、共に認めない考え方があるのは当然として、それに加えて結婚というものを分水嶺として、どちらかは認めるがどちらかは認めない、という立場があることにもなります。論理的に言えばそこには2通りのスタンスがあり得ま須賀、より現実的なのは「同性愛は認めるが、同性婚は認めない」という方なのではないかと思います。
「同性同士で愛し合うのは構わないと思うけど、結婚という形を取るのは違うんじゃないかな?」 その立場はつまるところそういう話なわけで須賀、この見解がどうも口当たりがよさそうに感じられるのは、(少なくとも私が)結婚に関して、ある観念を持っているからではないかと思うのです。それは、結婚とは2人だけでするものではない。結婚を宣言して、第三者の承認を得ようとする行為である、というものです。
家族法という法体系が存在する日本社会においては、婚姻という法的行為は何がしかの法的効果をもたらします*1ので、もちろんそのことも考慮に入れねばならないで生姜、やはり結婚するという行為は、第三者に宣言する行為という側面を無視できないと思うのです。本当に2人で完結させたいなら、サルコジ*2氏と選挙を戦った2人のようにすればいい、と言ってしまえばそれまででもあって、それこそ同棲するゲイやトレビアンレズビアンカップルが「同性婚を認めろ!」と叫んでいるなら、そうした動機というのは否定しがたいと思います。
そしてそれはしばしば賛成論者によって、同性カップルの選択の自由の問題や、異性愛者と比した場合の同性愛者への差別の問題として語られます。そして私も、そうした自由を尊重すること、(性)愛を向ける対象による差別に反対することは望ましいことだと思います。でも、それだけでしょうか? 事は2人だけの問題ではなく、そこには第三者が絡んでいるのです。
例えば、です。今から述べることは全てものの例えであって、それを企図したこともなければ将来においてもそのつもりはないことをご承知いただいたうえで読み進めてほしいので須賀(笑)、もし私が「はるかさんと優子さんの両方と結婚したい」と言ったら、どうでしょうか? あるいは、生まれたばかりの女児を結婚相手として連れてきたらどうでしょう? 愛する飼い猫と結婚してはいけませんか? それがどうしてもダメだと言うなら、この市松人形と結婚したい! 理想を言うなら初音ミクだけど、ちょっと高嶺の花過ぎるかな? 何ならナルシストっぽく自分自身と結婚しようかしら…
荒唐無稽なことばかりに聞こえるかもしれませんが、最初に挙げた重婚(この場合は一夫多妻)や二つ目の幼い女性との結婚というのは、時代や場所が異なれば必ずしも違和感をもって受け止められるものではなかったようです。しかし、人間以外の動物であるとか、非生物であるとか、そもそも物理的に存在しなかったり、思い余って1人で結婚してしまったりというのはどうでしょう? 「君たちは夫婦だね」とみなされるがために結婚するなら、私とそれらとの「結婚」は成功するでしょうか?
繰り返しま須賀、私は同性同士の結婚はそのようなものと同様であるとは考えていません。ただ、それらに強硬に反対している人がいるとすると、もしかしたら彼らは、重婚や飼い猫や市松人形との結婚と同じカテゴリーに「同性との結婚」を置いているのかもしれません。じゃあ、そこはどうやって分けるものなのでしょうか? 確かにイスラームにおいては、原理主義的な立場から「一夫多妻はいいけど、同性はダメ」という「組み合わせ」を選ぶことはできそうですし、私みたいな人間は「猫と結婚するの?まぁ、面白いしいいんじゃない?ww」なんて言ってしまうかもしれません。それがどのように形成されてきた(ている)のかは、個々人やある社会の家族文化の変遷のようなものによるところが大きいような気がします。しかし何にせよ、承認を求める宛先は基本的には特定の個人ではないでしょうし、恐らくその起源は徴税への動機に結び付くので生姜、「婚姻届」を公的機関に提出するということも、少なくとも結果としてはそうした物の見方を補強するでしょう。
そう考えていくと、もし私が100人中100人が「同性婚などけしからん!金正恩第一書記万歳!」と叫ぶ社会に放り込まれたら、「同性婚を望む人たちの『認められたい』っていう気持ちをもうちょっと考慮に入れてもいいんじゃないのかな?」という「布教」はできても、「即時、同性婚を認めるべく制度改正をすべきだ!」とは主張しにくいような気もしてきます*3。とどのつまりは「結婚が第三者の承認を求める行為である以上、そのあり方にはある程度の社会的合意があることが重要だ」という無難かつ日和見主義的な見解に収斂していくわけで須賀、サンデルみたく美徳だ善だみたいな話にはしたくなかったのです。

*1:いわゆる内縁関係を保護する法の制定という議論もあるようで須賀

*2:今「猿誇示」って出たぞwww

*3:あるいは「公的機関に認めさせれることこそが重要で、それが十分条件だ」というスタンスもあるのかもしれませんが、第三者、特に公的機関の承認を求める以上、ある程度の社会的合意に基づかないと仕方のないようにも思えます