- 作者: 松本三之介
- 出版社/メーカー: 以文社
- 発売日: 2011/08/11
- メディア: 単行本
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これを読んだ上で考えたくなるのはやはり、「現代日本の中国認識」です。具体的には戦後の展開ということになりま生姜、もしざっくり素描するなら、やはり続く蔑視観*1に、戦前の大日本帝国の内発的あるいは外発的な「否定」から生まれる歴史への贖罪、一方でマルクス主義を奉じる中華人民共和国の成立を受けた「他陣営」としての眼差しとインテリなどにあったろう共感といった新しい要素が絡み合うことになるのでしょうか。庶民的な好感もあるで生姜、それは人種的・文化的な親近感と言うより、「パンダブーム」的オリエンタリズムが本籍かもしれませんし、もしそうなら重要なのは蔑視観とのつながりでしょう。そして近年目覚ましい中国の経済発展。これは連帯論・脅威論の双方を刺激することが容易に想像できますし、今、日本社会での中国についての語りに後者が顔を覗かせないことはむしろ稀と言うべきかも知れません。
地域大国間の力関係が入れ替わる時に双方による戦争が起こりやすいことは、歴史を見れば推測できます。19世紀後半以降のプロイセン―ドイツはそれを地で行っているような感もありますし、一側面を見れば日清戦争もそのように捉えられます。諸葛亮の時代に日本列島のどこかで力を張っていたのは卑弥呼で、聖徳太子の手紙は隋の煬帝を激昂させました。朝貢貿易を行った時代もありました。そういう時代スケールで考えるなら、この本が扱っているのはそんな日中の力関係に大きな変化が起こる前後のこと。その「逆転状態」が永続するとは私は考えていませんし、そもそも今現在がどうなっているのかは、多分しばらく後になってから分かることなんだと思います。少なくとも私は、その大きな枠組みの中で日中の国や社会の関係を考えていきたいと思っています。
本にも出てくるように、相手への認識と現実の政策選択・政治環境は相互に関係し合っています。卵と鶏みたいな話かもしれませんが、人間が対象を認識して行動するということを繰り返す以上、それは当然のことでしょう。とするならば、例えば地域大国間の「追い抜き」の時期にいかに戦争を避けるかということを考えた場合、こうした議論は実際的な問題とも密接に関わってくることになりそうです。別にそうでなければ価値がないというつもりは毛頭ありませんがw