かぶとむしアル中

取材現場を離れて久しい新聞社員のブログ。 本の感想や旅行記(北朝鮮・竹島上陸など。最初の記事から飛べます)。

北朝鮮竹島イラン旅行記
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『戦争の日本古代史』(倉本一宏)

高句麗好太王との戦いから白村江までのいわゆる朝鮮三国時代の戦争や、藤原仲麻呂新羅征討計画、刀伊の入寇など、古代日本が関わった対外戦争についての研究動向をまとめ、そこから近代における対外観(主に朝鮮半島)への手掛かりを探った本です。
いわゆる「空白の4世紀」は昔から関心のある時代ではあって、結局その時代は史料や遺物が少なすぎるので、言ってしまえばどの説も程度論みたいな側面は否めないので須賀、なるほどと思える指摘も多く、楽しく読むことができました。
一方で取り扱いに気をつけなければいけないのは近代の方です。古代に朝鮮半島に出兵して任那を支配*1し、中国からも半島南部の軍事指揮権を認められ(倭王武の上表文)、百済新羅は日本に朝貢し(任那の調)、隋唐の冊封を受けなかったばかりか、百済王族を送りこんで唐と戦った…という日本側の認識は、自らを「東夷の小帝国」とみなす主張につながったと著者は考えます。さらに長年の戦いの末、任那を併呑した新羅に対する敵視・警戒は、内向きの時代の「境外」への穢意識や新羅海賊の出没も相まって強まるばかりで、次の高麗王朝に対しても変わることはなかったようです。女真族による刀伊の入寇の際には、大陸に拉致された日本人を高麗が九州に護送してくれたので須賀、その知らせが京都に入った後も、日本側は襲撃の真犯人が高麗でないかと疑い続けていた、という話はその象徴的な事例と言えると思います。
こうした、主に朝鮮半島に対する歴史的な優越感と敵視が、近代日本の対外膨張を思想的に支えたのではないか。著者はこう示唆します。もちろん、(著者の言うとおり)それをちゃんとした形で説明するのは近代史家の仕事であり、この本の主眼でもないでしょう。それでも、韓国併合時に朝鮮総督寺内正毅が詠んだ歌を見ると、歴史を経て醸成された外国への意識の威力を感じさせられます。

小早川 加藤小西*2が 世にあれば 今宵の月を いかにみるらむ

*1:著者は任那支配を事実でないとしています

*2:いずれも秀吉の朝鮮出兵に参加した武将です、念のため