戦争の日本古代史 好太王碑、白村江から刀伊の入寇まで (講談社現代新書)
- 作者: 倉本一宏
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2017/05/17
- メディア: 新書
- この商品を含むブログ (9件) を見る
いわゆる「空白の4世紀」は昔から関心のある時代ではあって、結局その時代は史料や遺物が少なすぎるので、言ってしまえばどの説も程度論みたいな側面は否めないので須賀、なるほどと思える指摘も多く、楽しく読むことができました。
一方で取り扱いに気をつけなければいけないのは近代の方です。古代に朝鮮半島に出兵して任那を支配*1し、中国からも半島南部の軍事指揮権を認められ(倭王武の上表文)、百済や新羅は日本に朝貢し(任那の調)、隋唐の冊封を受けなかったばかりか、百済王族を送りこんで唐と戦った…という日本側の認識は、自らを「東夷の小帝国」とみなす主張につながったと著者は考えます。さらに長年の戦いの末、任那を併呑した新羅に対する敵視・警戒は、内向きの時代の「境外」への穢意識や新羅海賊の出没も相まって強まるばかりで、次の高麗王朝に対しても変わることはなかったようです。女真族による刀伊の入寇の際には、大陸に拉致された日本人を高麗が九州に護送してくれたので須賀、その知らせが京都に入った後も、日本側は襲撃の真犯人が高麗でないかと疑い続けていた、という話はその象徴的な事例と言えると思います。
こうした、主に朝鮮半島に対する歴史的な優越感と敵視が、近代日本の対外膨張を思想的に支えたのではないか。著者はこう示唆します。もちろん、(著者の言うとおり)それをちゃんとした形で説明するのは近代史家の仕事であり、この本の主眼でもないでしょう。それでも、韓国併合時に朝鮮総督・寺内正毅が詠んだ歌を見ると、歴史を経て醸成された外国への意識の威力を感じさせられます。
小早川 加藤小西*2が 世にあれば 今宵の月を いかにみるらむ