- 作者: 石原莞爾
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2001/09/01
- メディア: 文庫
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突っ込みどころはたくさんあるでしょう。「準決勝」「決勝」といった表現や戦争を何かのスポーツの試合にたとえるような言い回しが随所にみられるのは、町が焼かれ人が死ぬ戦争の現実を(軍人なのに)理解していないからではないのかとか、満州事変の首謀者が東亜の民族協和などと高唱するのは独りよがりも甚だしいとか、そもそもなんでそこで日蓮なんだとか、批判は尽きないと思います。ただ、今この本を紐解く意義は、恐らくそこにはないでしょう。(いつか何らかの理由で戦争が起る可能性は常にあるにせよ)世界の4極が競う「決勝戦」が近々行われる論理的必然性をこの本から見つけることはできませんでしたが、核兵器登場とその後の冷戦*1についてはほぼ正しく予測できていると評価すべきだと思います。また、著者はそうした最終戦争を耐え抜く国民動員の鍵を「統制」と表現しているので須賀、これは『監獄の誕生』でフーコーが「規律・訓練」と呼んだものと近い概念と言えます。あと、念のため補足しておくと、いきなり日蓮が出てくるのは彼が日蓮宗に帰依していたためだそうです。
こう見ていくと、石原莞爾という人はどうやら、ただの「満州事変の首謀者」ではない。その深みからくる人物像の捉えにくさや、彼の幼少時の奇行などについては前掲本でも触れられていま須賀、戦後、東条英機との関係について東京裁判の検事団に言ったとされるセリフが非常に象徴的です。「(東条とは)対立なんかない。あいつには思想がないから対立のしようがない」。謀略で以て暴走的な侵略をやったという事蹟は措いた上での人物評*2としては、「日本陸軍の奇才」か、それよりも「軍事思想家」と表現した方がいい人物なのかもしれません。