かぶとむしアル中

取材現場を離れて久しい新聞社員のブログ。 本の感想や旅行記(北朝鮮・竹島上陸など。最初の記事から飛べます)。

北朝鮮竹島イラン旅行記
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『ウェブ×ソーシャル×アメリカ』(池田純一)

ウェブ×ソーシャル×アメリカ <全球時代>の構想力 (講談社現代新書)

ウェブ×ソーシャル×アメリカ <全球時代>の構想力 (講談社現代新書)

書店でこの本を手に取ったのには珍しく明確な意図があって、それはこの本が、『ウェブ進化論』を読んだ時以来感じていた「インターネットのベクトルや如何に?」という疑問に、一つの示唆を与えてくれるのではないかという期待でした。いやいや、君はよく分かっていないからひとくくりに「ネットが」とか「ウェブの」とか言うけれども、GoogleAppleFacebookTwitterなどそれぞれにそれを生んだ理想や理念があり、それらのサービスのシェア争いはバックグラウンドにある理念の争いでもあるんだぜ。ざっくり言うと、それがこの本の回答であり、大まかなところの論旨だったと思います。付け加えるなら、著者自身はFacebookなどのソーシャル・ネットワークの動向に注目しており、その際重要なのはプレイヤーたちの逸脱行為が新たなものを生み出す遊戯性である、などと説いています。
備忘録的に書いておくと、それらの差異は「真善美」のメタファーで論じられます。科学的合理性や客観性(言わば「神の視点」)を追求するGoogleの「真」、社会的交流関係から共同体づくりを進めるFacebookが「善」、ウェブのあり方そのものにに多大な影響を与えたカウンターカルチャーの意匠を組み込み、人間が操作しているという自在性をアピールするAppleが「美」である。このような議論が、スチュアート・ブランドとカウンターカルチャー、そして遡ってはトクヴィルまでもを参照しながらなされています。
ただ読んでいて率直に感じたのは、かなり議論が拡散気味だったということです。「考えながら書く」姿勢で、広範な知識を動員すればそうなってしまうというのはあるで生姜、もともとこの世界に親しみ深いわけでない読者からすると冗長であり、また時間軸の前にも後ろにも推論や連想めいた話の展開が多いからか、論理的整合性を追求するモチベーションは湧きにくく、そしてそう容易でもないという点は読んでいてやや苦痛でした。
まあ著者もその辺については認識というか想定があるようで、ウェブに書くときと本に書くときの違いのようなものにも言及していましたが、あるいは受け手の側にも、それらに対する意識の違いがあるのかもしれません。