かぶとむしアル中

取材現場を離れて久しい新聞社員のブログ。 本の感想や旅行記(北朝鮮・竹島上陸など。最初の記事から飛べます)。

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『メディアと日本人』(橋元良明)

メディアと日本人――変わりゆく日常 (岩波新書)

メディアと日本人――変わりゆく日常 (岩波新書)

著者らが15年にわたって行ってきた「日本人の情報行動調査」などをもとに、日本人のメディア利用の実態を探った本です。データを用いたロジカルな分析のほか、テレビやインターネットといったメディアの「悪影響」を実験をもとに検討した章もあり、「ネオフォビア(新規恐怖)」的な印象論でなく、こういった知見を持って議論できると実りの多い話になるのかなあという気はしました。
ただ、「ネット世代のメンタリティー」の議論の中で、彼らがパソコンではどんなサイトを見ていて、一方でケータイではどうなのかという部分のデータも合わせて提示しないと、論理的な説得力はかなり落ちるような気がします。まあケータイではSNSなどが多いのだろうという彼の推測に、私も推測の域において賛成しま須賀。もう一つ付け加えれば、次回調査があるだろう2015年にさらなる普及が予想されるスマートフォンが、この端末による利用形態の違い(あるとすれば)にどんな影響を及ぼしていくのかは興味があるところです。
もう一つ、データの分析という部分で気になったのは、「特定世代」の扱い方です。いみじくも本書後半でも「PCデジタルネイティブ」の指標となる「76世代」、「ケータイ・デジタルネイティブ」の分水嶺となる「86世代」といった概念が出てくるわけなので須賀、例えば2000年調査の10代は2010年調査では20代であり(「86世代」)、2000年で50代だった人たちは2010年には60代になっている(団塊の世代)わけで、データの表を縦に読んで「この年になるとこうなる」と分析するだけでなく、斜めに読んで「若いころにこんな体験をしてきているこの世代はこういう傾向がある」とより仮説立てて考えていくことも大切なのではないか、と思いました。
基本的には事実やデータの提示と分析が中心となっている本で須賀、最後の最後に「メディア論臭い」話が出てきます。著者は大まかに言うと「みんな技術決定論*1はおかしい言って批判するけど、メディアの影響力があるのは事実だろ!」と起こっているので須賀、確かにそれはその通りです。ただ、これも本書に出てくる通り、当初ラジオ的な使い方もされた電話がその方向性での発展を遂げなかったように、あるいは「写メール」登場後もパケット通信料が上がるのを嫌って写真の送受信を避けるユーザーが現れたように、新たなメディア技術の可能的様態を生みだし、あるいは絞り込んでいくのには、やはり使っていく人間の営みも介在しているのではないかと、その部分は著者も否定するところではないでしょう。ちなみに、著者が前述の議論に持っていく前段で「使っている言語がその人の思考に影響を及ぼす」とソシュールあたりが言い出しそうな主張をしている部分について、個人的には違和感はないので須賀、「壊滅状態」と言わしめるほどけちょんけちょんに言われているんですか?
以前読んだ『2011年新聞・テレビ消滅』(佐々木俊尚)では、主に送り手のビジネスモデル的な側面から新聞やテレビの危機がアピールされています。一方この本では、受け手にとっての「機能代替」という考え方から「インターネットがテレビに『取って代わる』ことは当分あり得ない」としています。私がここでどちらかに軍配を上げるつもりはありませんが、その両方の矢印を念頭に置いて、さまざまな動向やデータを整理していく必要があるんだと思います。

*1:メディアの技術が社会を変えるという考え方。批判的に用いられる場合、その一方的な矢印を強調する議論が標的となります