かぶとむしアル中

取材現場を離れて久しい新聞社員のブログ。 本の感想や旅行記(北朝鮮・竹島上陸など。最初の記事から飛べます)。

北朝鮮竹島イラン旅行記
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『密閉国家に生きる』(バーバラ・デミック)

密閉国家に生きる―私たちが愛して憎んだ北朝鮮

密閉国家に生きる―私たちが愛して憎んだ北朝鮮

北朝鮮東北部の清津に暮らした脱北者らの清津での生活を中心に、彼らの半生を描いた本です。非常に詳細かつ広範なインタビューと、それを裏付けようとする豊富な取材で、まさに手に汗握るノンフィクションに仕上がっています。もともと読書時の注意力が散漫なこともあり、久々に没頭できた読書体験でした。
著者は約100人の清津出身者から話を聞いたそうなので須賀、ストーリーは交差したりしなかったりする6人の男女を中心に紡がれます。朝鮮戦争で捕虜になった元韓国兵を父に持つ女性「ミラン」、その恋人で日本からの帰国者の息子「ジュンサン」、父が朝鮮戦争北朝鮮のために殉死したと賞され、体制を信じて生きてきた「ソン夫人」と、そんな夫人とは似ても似つかぬ長女の「オクヒ」、中国の朝鮮族出身の女医「キム医師」、食糧危機の中で駅や市場などにたむろしたホームレス少年・コッチェビの「ヒュク」。同じ清津に暮らすなどしながら、これだけバックグラウンドが違う人たちが、国内でどんな社会経済的地位におかれ、1990年代の食糧危機がそこにどんな影響を与え、そしてたまさか個人としての彼らがそれらをどうしのぎ、何を考えて生きてきたか。それらの様子が非常によく活写されていると思います。
ここで彼らを紹介した修飾語でお分かりかとも思いま須賀、家族がどんなルーツを持つ人間かということが、北朝鮮では非常に重視されます。それらは「成分」と呼ばれ、冗談でなく彼らの人生を大きく規定します。例えばソン夫人のような境遇は「北朝鮮のため命を張った」ということになり優遇されますし、逆にミランのそれは最悪に近いわけです。しかし、深刻な食糧危機はその階級的な社会構造に動揺をもたらし、成分の良し悪しよりは「食糧調達の可否」が彼らの運命を左右し始める。ちなみにこの食糧危機の話というのは聞けば聞くほど深刻なようで、目も覆いたくなるような状況が活字にされています。また、時期的にそれに先立つ金日成死去発表のシーンでは、なんだか日本で玉音放送が流れた時の情景を読んでいるようでした……やや論旨が散漫になってきましたが、そうした北朝鮮にまつわる一つ一つのことがら―ある時期の出来事にせよ、生活習慣や社会・経済生活の実態にせよ―を肌感覚で理解するのに有用なのは、恐らく概論的な教科書よりもこのような本なのでしょう。
加えて、この本で示されている自明かつ最も重要なことは、北朝鮮にも人の暮らしがあるということです。マスゲームに象徴される全体主義的な動員で語られやすい国ではありま須賀、言うまでもなく2000万人からの生身の人間が生きているわけです。当たり前で須賀、6年前に私が平壌で出会った人たちにもやはりどこか、生身の息遣いがありました。訳者が指摘するように「(日朝)両国の一般人は、お互いに度の合わない眼鏡をかけて胡散臭げに相手を見ているような」状況があるなら(私はあると思いま須賀)、その眼鏡の度を調節する、あるいはまず度が合っていないということを認識するツールとして、この掛け値なしに面白い本が広く読まれればいいな、と読み終えた感慨でちょっと誉めすぎかもしれませんが思います。
まあ敢えて違和感を述べるとすれば、北朝鮮の体制を説明する際に、随所で「アジア的専制」的な示唆がなされていたことなどでしょうか。どこまで「アジア」という範疇に還元できる問題なのか、という点で須賀、アメリカの新聞社に勤める著者は概念的に「アジア」の外側にいる半面、「あれ?」と感じた私は日本に生まれ育ったという意味において「アジア」概念の内部にいる*1と言えるわけで、そのお互いの効果を慎重に見極めていく必要があるんでしょうね。

*1:同じアジアの北朝鮮を見て「アジアだから」というよりは「北朝鮮だから」と考えやすいと思われる