- 作者: 竹下節子
- 出版社/メーカー: ベストセラーズ
- 発売日: 2010/07/09
- メディア: 新書
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陰謀論はこの本の中で、個人が複雑な現実にふたをして、不安から逃れる機能を持つ世界解釈の一種として理解されています。「自分が不幸な立場から抜け出せないのは、ユダヤ人orフリーメイソンorCIAが闇で世界を操っているからで、自分ごときには如何ともし難い」。このような単純な善悪二元論に基づく、言わば宗教のネガのような側面です。そしてその単純化は、スケープゴートを求める全体主義とも親和的である。このことは、ロシア人作家がロシアの秘密警察の差し金で書いた、ユダヤ人陰謀論の偽書『シオンの長老たちの議定書』がヒトラーの愛読書となった事実や、ポパーの「陰謀論は全体主義の土壌になる」という警句からも大いに示唆されています。
その中で著者が訴えるのは、陰謀論を「仕分ける」嗅覚、つまりメディアリテラシーです。大きな物語が失われる一方で、ネットの普及によって膨大な量の陰謀論が溢れていく。そんな中で大事になるのがその嗅覚だろう、そんな終わり方でありました。
柄にもなく要約みたいなこともやってしまいましたが、それは多分に共感をこめてであります。本の中でも指摘があるように、市民にとって「当局」や「お上」はブラックボックスに見えうる。それは国家機構が複雑化すればするほど、自分の一票の価値が小さく感じられれば感じられるほどそうで、「どうせ中の人が決めているんだろ」というような政治的なアパシーにつながっていくように感じられます。まさに、複雑な現実にふたをしてしまうわけです。果たしてそれが民主的な社会にとって望ましいことなのか。そんな思いから、ここでも何度か「中の人」的な発想を批判してきたつもりです。
ただもちろん、陰謀そのものが世界史上存在しなかったとみなすのは誤りでしょう。世の中に実在した企み事に対して「そんなものはなかった」「陰謀論的でっちあげだ」と叫んでいるだけでは仕方ありません。そもそも複雑系としての現実は、ごく少数の人間集団が完璧に操作できるほど単純なものではない*1ようにも思いま須賀、その虚実を仕分ける嗅覚を磨いていかなければならないとは言えるでしょう。
実は著者は、娯楽としての陰謀論の意義みたいな部分も指摘していて、そこを踏み外さない嗅覚ということも言っているんですけどね。