かぶとむしアル中

取材現場を離れて久しい新聞社員のブログ。 本の感想や旅行記(北朝鮮・竹島上陸など。最初の記事から飛べます)。

北朝鮮竹島イラン旅行記
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「自分はどんなことに興味があるのだろうか」という問いは、1年ちょっと前に、私のそう長くない人生の中で最も私を苦しめた問いとして現れてきたので須賀、今はなんとなく楽しい妄想の部類に属しつつあります。
今日風呂に入りながら考えたのは、私と違った特定の価値観を奉じ、結果私の想像を超えるような行動をとるように見える人間集団に対する関心です。このブログを何度かご覧になった方は、それが第一義的に何を指しているかはお分かりかと思います(笑) なんであんなに国民が飢えているのに「金正日マンセー」なんだろうか、町に住む一般市民が本気でそう思っているのだろうか、そもそもあのマスゲームとかスーパー小学生とか律動体操って何なんだ…と、日本のマスメディアを通じてではありながら関心を持ってきました。
子供のころには、オウム真理教に関心がありました。これもテレビを通じてだったりするので須賀、サリン事件以降よくテレビでやっていたせいで、私は一時期サリンの製法を丸覚えしていましたし、小学校の遠足で地下鉄に乗った時には、給食当番で使うマスクを着けていた*1ことを記憶しています。
こう書くとオカルト少年みたいで須賀、もう一つ特筆すべきは、こうした「興味のある対象」に対して価値的にコミットすることはなかったということです。それは定義めいた部分で「私と違った価値観を奉じ」云々と言っている時点で当然の帰結であるので須賀、やはり最初の疑問は「どうしてこの人たちはこう考えるんだろう?」という問いであるように思います。さらに言うと、太字で強調したようにそれが複数の人間の集団であることが余計に興味をそそるのです。大ざっぱに言えば、クラスに1人変わった子がいるのは大して不思議でもないので須賀、クラスみんなが異口同音に、私には理解しづらいことを言っていたらとても気になるということです*2。一度書いたかもしれませんが、私が海外に興味があるのはその意味においてです。オウムや北朝鮮と比べるのは大げさで生姜、自分が知らない社会の規範意識や価値意識に触れるのはとても楽しくて、よく各国の車内マナーについて書くのはそれゆえでしょう。
集団での心理や価値観ということで言うなら、ナショナリズムの問題は欠かせないでしょう*3ナショナリズムの起源と流行*4については、それこそアンダーソンやゲルナーなど多くの論者によって、社会構造や政治、経済の面から説明されているわけで須賀、その真っ只中にいる人間の心理や精神構造というところに、今とても興味を持っています。それは私の祖父母の世代が若かったころ、この日本で吹き荒れたものでもあるのです。
適当に書き散らしてみましたが、丸山真男のブックレビューとかにつなげるとサマになる感じですかねwww 自分を語る独白調の文章なんて、ネット上で最も読まれないものの一種で生姜、考えたことは書いておかないと毎日の進歩がない気がするのでw

*1:そんなものでサリンが防げるわけがないのは小学生でも分かるわけで、これは今思えば、多分にネタ的な行動でもあると思います。不謹慎さは感じています。

*2:だからいわゆる「人もの」(人物紹介)には読み手としても書き手としても興味が薄いんだと思います

*3:念のため言っておくと、私は「自分にとってナショナリズムが全く無縁の、異質な発想である」と言っているわけではありません

*4:おっとw