文化ナショナリズムの社会学―現代日本のアイデンティティの行方
- 作者: 吉野耕作
- 出版社/メーカー: 名古屋大学出版会
- 発売日: 1997/03/01
- メディア: 単行本
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日本の中部にある人口数十万の典型的な地方都市「中里市」*2の教育者と企業人に対する聞き取りを重ねたところで浮かび上がったのは、彼らが「日本人の美徳とは…!」的なお題目に関心があるというよりは、身近な職場の人間関係をどうマネジメントするか…といった具体的・実践的動機から日本人論を消費しているさまでした。国家による教育や声の大きなイデオローグたちの影響を過大視するのではなく、個々人を取り囲む身近な環境や、それぞれが属する集団の重要性も十分検討すべきである。それは、著者の言葉を借りれば「社会全体を包含するNationalism」より「集団ごとに内容と表現を異にするnationalisms」を―ということになるので生姜、そうした日本人論の受け手に注目した丁寧な議論は本書の一つの特長だと思います。
この本が出版されたのは20年弱前、「中里市」での調査が行われたのはそのさらに10年前であり、その間に日本人論やナショナリズムをめぐる様相はかなり変化したと言っていいでしょう。恐らくその最たるものは、大文字で単数形のNationalismが再びせり出してきたことです。では著者の議論は時代遅れになってしまったかというとむしろその逆ですらあり得て、この20〜30年の間に日本社会で起こったことは、終身雇用制が崩れるなど雇用が流動化し、地域コミュニティの関係が希薄化する―などといった中間団体(個々人が所属し得る団体や紐帯)の緩みだったわけで、その間隙に国家やイデオローグが唱えるNationalismが割って入り、そこに回収されていったという解釈は、十分この議論と整合的に理解できると思います。
あと一つ、時間の経過との関連で言うなら、こうした日本人論の「宛先」の問題はあるでしょう。この本の議論において差異化の対象となっているのはほぼ「アメリカを代表とする欧米」だと言えるで生姜*3、ここ数年、インターネット上などでその「槍玉」に上がっているのは近隣諸国、というより中国と韓国なわけです。その辺には歴史的な経緯なども絡み、やはり所謂戦中派的な世代の人達には抜き難い差別感情があるのに接したこともありま須賀、そうした部分ー先述したタテの差異感ーについても掘り下げた分析があるとよかったですね、というのは後知恵でしょうか(笑)