かぶとむしアル中

取材現場を離れて久しい新聞社員のブログ。 本の感想や旅行記(北朝鮮・竹島上陸など。最初の記事から飛べます)。

北朝鮮竹島イラン旅行記
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たまには仕事の話でも

最近人もの(人物紹介)取材をして原稿を書いているんですけど、結構難しいですね。
基本的に他人への関心が低い(笑)という記者として致命的な特性を抱えている私は、多少のことでは「この人のことを紙面で紹介したい」とは思わない*1ので須賀、いざ久しぶりにやってみるとうまく行かないのなんのって。
私の感覚で言えば、新聞記事を1行書くことにはそれなりの労力が要ります。当たり前で須賀、事実と異なることは書けませんし、誤解を生むような表現も避けねばなりません。だから、原稿を書くときも確認する時も、ジャンルによって程度の差こそあれ、取材で集めた事実をジェンガのようにそーっと積み上げていくような気持ちでいます。もし置いたジェンガの座りが悪ければ、ちょっとずらして置かねばなりません。極端なことを言うと、最終手段としては、確認できない事実をぼかして言及を避けるという手段もあり得ます。もっと言えば、特に事件記事に関して、ある事実を書くべきかどうかというのも悩みの種だったりするのです。
そういう感覚で人ものの原稿を書いてしまうと、文章としてはとても面白みのないものが出てきます。なぜなら、人の内面を「こうだ!」と書いてしまうのはとてつもなく恐ろしいからです。今回の取材でも4時間余りのインタビューに応じてくださり、その人の行動原理や発想法はなんとなくつかめたような気がして戻ってきました。でも、それをもとに書き進めるのは怖いんですね。「自分の勝手なスキーマでこの人を片付けてしまっているのではないのか?」 そんなことを考えながら書くと、結局はその人が言った内容を適当に要約して整序するだけの原稿になってしまいます。
そこで今日なんかにデスクに言われたのは「あなたの原稿なんだから、あなたからどう見えるのかというのを盛り込んだ方がいいよ」ということでした。確かにおっしゃる通り、その人がどんな人なのかについて客観的な答えはありませんし、そもそも私が書きたいこと=問題意識を持ってインタビューをしている以上、当然その答えには私の意図が介在しているはずです。バルトを持ち出す話でもないでしょう。じゃあそう思ったなら(そして事実に基づいていれば)何とでも書いていいのかと問われると、原理的にはYES、というのが私の見解です。ただ、それがあまりにもその人自身の自意識や、周囲の人から見るその人の像とかけ離れていると、書いた人間は信頼を失うよね、というところであって、ベタな言い方をすればそこが書く側の人を見る目であり、センスだったりするわけです。そして、ちゃんとした切り口=問題意識を持ってインタビューすれば、往々にしてそんなに長い時間はかからないものです(笑)
こうして振り返ってみると勉強になるなあという感じなんで須賀、何よりよかったと思えるのは、概して他人というものに関心の薄い私をして「この人について記事を書きたい」と思わしめるような人と出会うことができたことです。

*1:ある事柄や概念を紙面を通じて伝えるにしても、実際に起こっている(取り組んでいる)こと(What)から紹介するか、あるいはそれに関わる(Who)から紹介するかなど、いろいろやり方があります