- 作者: 丸山真男
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1961/11/20
- メディア: 新書
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ただ一方において、思想史やある社会集団における精神構造の分析、といった分野を研究する上での難しさというものも感じざるを得ませんでした。確かに日本の思想史を論じるうえで本居宣長や平田篤胤を検討しないことはできないでしょう。しかしその一方で、それが江戸期の思想研究における十分条件でもないわけです。例えばこの本の二つ目の文章では、小林秀雄や大森義太郎らが参加した『文学界』の対談を取り上げて「科学主義」と「文学主義」の連関の可能性について検討がなされているので須賀、ぶっちゃけその場にいる数人が意気投合したから何だっていう批判はありうると思うんですよねwww ある時代における思想の全体状況を計量的・網羅的に把握することの難しさ(というより不可能性)を認めながらも、いかにして知的に謙虚かつ貪欲な態度を取っていけるか。逆にそれを怠れば、あの『国家の品格』のような唾棄すべき*2日本人論に堕してしまう危険性をも孕んでいる作業なわけです。
最後に一ヶ所引用をさせてください。
…つまり、この憲法の規定*3を若干読みかえてみますと、「国民はいまや主権者となった、しかし主権者であることに安住して、その権利の行使を怠っていると、ある朝目ざめてみると、もはや主権者でなくなっているといった事態が起るぞ」という警告になっているわけなのです。これは大げさな威嚇でもなければ教科書ふうの空疎な説教でもありません。それこそナポレオン三世のクーデターからヒットラーの権力掌握に至るまで、最近百年の西欧民主主義の血塗られた道程がさし示している歴史的教訓にほかならないのです…
これは有名な「権利の上にねむる者」の一節なのですが、この部分には戦後60年以上経った今でも、いや今だからこそ強烈なメッセージ性を感じました。権利の上にねむっていると、いつかその権利がなくなってしまうかもしれない。その思いが、今の憲法論議に欠けているのではないかという気がしてなりません。「って言っても日本は民主主義なんだからまぁ大丈夫でしょ」と考える方も多いでしょう。しかし今の安倍政権の目指す方向は、結果的に政治的自由を、そしてそれに連なる民主主義という制度を制約するところへと向かっているのではないのでしょうか。著者はこうも言っています。「つまり自由と同じように民主主義も、不断の民主化によって辛うじて民主主義でありうるような、そうした性格を本質的にもっています。」