かぶとむしアル中

取材現場を離れて久しい新聞社員のブログ。 本の感想や旅行記(北朝鮮・竹島上陸など。最初の記事から飛べます)。

北朝鮮竹島イラン旅行記
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「8月15日」考

「あの日」から64年。今日は近くのスーパー銭湯で湯治*1していました。ぼーっと本を読んで、飽きたらちょっとお湯につかりに行くというのはまさに至福のひと時であります。
それでもいつもの通り昼前まで寝ておりまして、正午は自宅にいました。そのちょっと前からNHKをつけておいて、正午の時報と同時に玉音放送のCDをセットしたラジカセの再生ボタンを押す。直後に部屋の掃除機をかけ始めた私は、要はちょうど終戦から64年後に、玉音放送を流してみたかったのでしょう。「正午には1分間、黙祷を捧げましょう」なんて政府広報が新聞に載っていたりすると、意地でもそのタイミングだけには黙祷したくありません。
しかしその一方で、私が「あの日」につながるその日、その瞬間にただならぬ意味を認めていることも、疑いようもない事実だと思います。でなければ寝ていればいい話ですし、調べてみたら2年前には北京の抗日戦争記念館を訪れ、3年前には靖国神社遊就館の中で正午を迎えています。そして去年も今年も、仕事の中で戦争にまつわる記事を書かせてもらいました。そうやってマスコミは、この時期になれば戦争の話をしたがるんですね。小学生くらいの時に毎年見て泣いていたのが今でも恐ろしくて、今年も「火垂るの墓」は見る気になれませんでした。そういえば今日の高校野球中継でも、黙祷に入る直前、実況アナウンサーが「今日は終戦記念日で黙祷があります」と、まるで野球のルールを説明するような口調で言っていたのがひどく印象的でした。
こうやって私個人も、マスコミも高校野球の実況も、その日その瞬間に意味を認めていて、そしてややもすれば実況アナウンサーのように、例年と同じような定型化したことを考え行動しているのかもしれません。そこで思い出すのが、13年前のこの日に亡くなった丸山真男の言葉です。

思想が対決と蓄積の上に歴史的に構造化されないという「伝統」を、もっとも端的に、むしろ戯画的にあらわしているのは、日本の論争史であろう。ある時代にはなばなしく行われた論争が、共有財産となって、次の時代に受け継がれてゆくということはきわめて稀である…日本の論争の多くはこれだけの問題は解明もしくは整理され、これから先の問題が残されているというけじめがいっこうはっきりしないままに立ち消えになってゆく。そこでずっと後になって、何かのきっかけで実質的に同じテーマについて論争が始まると、前の論争の到達点から出発しないで、すべてはそのたびごとにイロハから始まる…

過去は過去として自覚的に現在と向きあわずに、傍におしやられ、あるいは下に沈降して意識から消え「忘却」されるので、それは時あって突如として「思い出」として噴出することになる。
(いずれも『日本の思想』より)

むしろ、というかかなりの意味合いで、私には「戦争体験」ではなく毎年の「平和を考える夏」が、こうした8月15日を迎える私たちの「『思い出』として噴出」しているように思えます。もし丸山が言うように、私(たち)がこのある種自慰的な「釈迦の掌的平和論*2」の中にいるんだとすると、振り返って日本の安全保障をめぐる環境はどうでしょうか。たとえばソマリア沖での海賊対処法というのは、相手が主権国家でない(=海賊)であるというロジックのもと、かなり集団的自衛の考え方に踏み込んだ内容になっています。これは極端に言えば、日本は北朝鮮主権国家として承認していませんから、ロジック的には「日本が主権国家と認めていない北朝鮮に対しては、集団的自衛権の行使を認める」という命題と同列になるわけです*3。そのことがどのくらい、この法律の制定時や今年の「平和を考える夏」に論じられたでしょうか。
日本で思想の伝統化が阻まれてきたことを嘆き、「主体」の確立を訴えた丸山ほど一般的な口調で語る自信は私にはありません。それでも、毎年言わば野球のルールのように「平和を考える夏」を消費し、泣いてスッキリして気分新たに8月16日を迎えるだけでいいんですか、何か話のタネになるようなことをして「みんな黙祷してるからオレはしなかったぜ」と悦に入っているだけでいいんですかと、まずは自らに問いかけてみたいと思っています。

*1:最近は腰より肩が痛みます

*2:ないし戦争論

*3:現実政治における意味合いが相当違うことはもちろん認めま須賀、ちなみにソマリアも内戦中ですね