かぶとむしアル中

取材現場を離れて久しい新聞社員のブログ。 本の感想や旅行記(北朝鮮・竹島上陸など。最初の記事から飛べます)。

北朝鮮竹島イラン旅行記
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また自分を語る/9・11から10年と1日

先週末は久々に飲み散らかしていたのでコメントする諸々の余裕もありませんでしたが、昨日でアメリ同時多発テロから10年が経ちました。
あの時のことはよく覚えています。無趣味なあまり新聞を熟読することが日課だった当時の私は、確かその数ヶ月前くらいから、政治批評めいたことをノートに綴って友人の間で回覧するという物好きな交換日記を始めていました。それでも年頃の男子学生にはうってつけの遊びだったようで、次第に翌朝の新聞を待つに飽き足らず、三日坊主の基礎英語ぐらいにしか使ったことのなかったラジオで夜10時のNHKニュース*1を聴取するようになっていました。
2001年9月11日午後9時半過ぎ。受験生という意味では不言実行であり、「業績主義」的な高校の教育に反対するという意味では有言不実行であった私は、開いていた教科書の類をしまってラジカセのAMボタンを押します。正時前のニュースも含めて聴くつもりだったので須賀、どうも様子がおかしい。別番組の最中に切り替わったのか、もともとそうだったのかの記憶は定かではありませんが、何やらニューヨークのビルに飛行機が突っ込んだらしいなんてことを言い出したのです。となると、もちろん番組は特番体制で、刻々と状況を伝え始めます。
これはただ事ではない。そう思った私は、金日成肖像画の代わりに加護亜依のポスターを張り、当時禁制品であった小型液晶テレビを隠し持っていたロリコンの友人を訪ね「いいからテレビをつけろ」とスイッチを捻ります。すると時差の関係で明るいニューヨークのビルからモクモクと煙が上がっていて、実況が続いていました。「2機目が突っ込んだようです!」アナウンサーがそう叫んだ瞬間も確かに画面を見ていた筈なので須賀、そのテレビの画質ではっきりと視認することは難しかったでしょう。
どの時点からだったか私の記憶としては残っていませんが、「これは偶発的な事故ではなく、何らかの悪意に基づくテロだ」というような話が実況に交じり始めます。パレスティナの具体的な組織の名前も挙がっていました。しかし、その組織の名前も、アルカイダもオサマ・ビンラディンも全く知る由のなかった私としては、彼らが関与していたかどうかはおろか、そもそもそれが悪意的な攻撃であるという大勢の解説にも十分には付いていけず、ノートに「いろんな情報が飛び交っているようだが、今の段階ではよく分からない」というようなこと*2を書きつけたのを覚えています。何か雷に打たれたような直感があったならカッコいいという話にもなるのかもしれませんが、分からないことは分からないと素直に表明する判断は、基本的には悪くなかったと今でも思います。
私は9・11によって言論の世界に関わっていきたいと考えるようになったわけではないように思います*3。それは恐らく具体的な出来事に裏打ちされているわけではないんじゃないかとも思います。ただ、その後のアメリカがテロという犯罪に対して戦争という手段を選んだこと、そしてまさか、言いがかりのような話の流れでイラク戦争にまで踏み切ったことは、その年の夏休みにカリフォルニアでの3週間の語学研修から戻ったばかりだった私が無意識的に持っていたろう、ありがちで無邪気なアメリカ無謬論をじわじわと打ち破ってくれましたし、自分がダメだと批判してきたはずのことがもちろん全く顧みられずに実現していく様を見て、しゃべり続けることを選んだと言うなら間違いでない気はします。
その意味で、これは私個人にとって何かの10周年ではないわけで須賀、10年経ってみて思うのは、知識の量は増えたし世間のことも比較としてはよく見てきて、バランスを取った慎重な物言いをするようになった*4とは思いま須賀、自分の頭で何かを考え、組み立てることはあまりしなくなったとも感じます。環境や境遇のせいには出来ませんが、もっと考えごとや妄想を楽しんで日々を送っていきたいし、もっと言えばそうすべきだとも考えています。
9・11から10年、と言って自分のことを延々と書き続けるとはなんとお目出度い奴だとお感じになる方が大勢かと思います。それは、今の私の心的傾向を如実に表しているというのも一つありま生姜、観察者があまりにもジグザグ走行しながら一連の事象を観察し、語ってきているため、最早自分自身に引きつけて語るしか方法がないというか、かなりの不定点観測であることを認めた上で主観的なことを述べる方が、却って知的には誠実なのではないかという後付けの理屈もあってのことです。

*1:確か「NHKジャーナル」なる番組だったと思います

*2:当時からのノートは全て保存されており、とあるシリーズものの書籍のタイトルを私の名前に引っ掛けてもじった表題と、誇らしげに清書された目次も付されて資料箱に入っている筈で須賀、今となっては恥ずかしいので絶対に見たくない

*3:今は関わっているでしょうか(笑)

*4:10年前を逆算すると興味深いかもしれません