かぶとむしアル中

取材現場を離れて久しい新聞社員のブログ。 本の感想や旅行記(北朝鮮・竹島上陸など。最初の記事から飛べます)。

北朝鮮竹島イラン旅行記
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家定お㍗る

深夜に初の呼び出しなどもありましたが、元気に働いています。今日も泊まり勤務で記者クラブに詰めています。その中で一つ、気になることがあったのでお話しします。
先日女子高生が絡む事件が広報され、その取材をしたときのことです。関係する女子高生の高校が「公立高校」と広報されたので、それを記事にして上司に見せました。すると、「うちの紙面で『公立』って言い方はしてこなかったんじゃないかな? 市立とかそこまで聞いて」と指示が。再度警察署に問い合わせると、担当者が「それを聞いて書くことに何の意味があるの?他社にも言ってないし教えられないな」。
私が考えていることをそのまま言い当てられたような気がして、上司にこう報告しました。「その情報に何の意味があるのかと逆に聞かれて、教えてくれませんでした。私もそう思うんですけど…」。で、上司。ちょっと不愉快そうな顔をして、「その判断をするのはお前じゃない。こうこうこんな感じでお願いして、何とか聞き出して」。
ここで「何生意気言ってんだ」とぶっ飛ばされることもなく、聞き方のアドバイスまでしてくれるあたり今の私は上司に恵まれていると思うので須賀、これには困りましたね。まぁ入念に(?)下調べをしてなんとか担当者をやり込めましたけど…
思うにまず、聞けてよかったという部分はあるでしょう。その担当者というのが結構頑固で有名な方だったので、あちらがどこまで本気で黙っているつもりだったかはわからないにせよ、一定ラインをクリアできたということにはなりましょう。それは記者としては純粋にうれしいことです。また、聞くことと書くことは別の問題なわけで、チームワークが求められる今の部署では特に、末端記者の私は情報の獲得に主眼を置き、その取捨選択は上司に委ねるというのが筋論ではあるのでしょう。
ただ、状況状況でその情報の意味を検討する風土が定着しているかというと、そこには疑問符を付けざるを得ない気もします。相談した上司が「これまで紙面でどう書いてきたか」を強く意識し、それを基準に判断しようとしていたことは明らかでした。一方で比較考量を考えた場合、このケースでその情報を出すデメリットもそこまで大きくないことは私としても認めざるを得ませんでした。
…そしてその鮮烈なオチは、そんなことを考えている最中に来たデスクからの、「ボツにする」と一言書かれたFAXでした。ニュースバリューを含めた情報の価値の判断なのでしょう。やっぱりチームワークなんですかね、ここまで自分に都合よく判断するのも危ない気もしま須賀…