かぶとむしアル中

取材現場を離れて久しい新聞社員のブログ。 本の感想や旅行記(北朝鮮・竹島上陸など。最初の記事から飛べます)。

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社会学を学ぶ (ちくま新書)

社会学を学ぶ (ちくま新書)

社会学を学ぶとはどういうことか。著者自身の体験や思いから書き起こし、社会学的な思考をさまざまに試みた諸先人の思考の足跡を辿りながらその問いに迫った一冊です。具体的にはデュルケームからパーソンズマルクスレヴィ・ストロースフーコールーマンボードリヤール柳田国男ときて最後にヴァルター・ベンヤミンで締めているので須賀、全体として社会をトータルとして、実証的に捉えようとした人が多い中で、最後にヴァルター・ベンヤミンを持ってきて「人々の生の様態について少しでも本質的なことを考える」ことを訴えていたのは結構キレイではありました。ただ全体として話の流れを重視して書かれていたためか、教科書的な読み方をするにはあまり向かないかもしれませんね。
一昨日大学での全ての講義・試験が終わったから言うのではありませんが、私が4年間で受けてきた授業の中で一番面白かったのは、1年の冬学期に受けた著者の「現代社会論」でした。そこではこの本で言えばボードリヤール的な議論を交えながら、現代社会で起こっている諸現象についてひたすら脱線話をしていた*1のがとても面白く、試験以外(笑)全出席という恐らく4年間で唯一の偉業を成し遂げたのもよく覚えています。その意味では、この本はそっちのニーズに応えてくれるものではなかった*2ので須賀、そんなことを言っている私をたしなめるような内容がエピローグで述べられていたので、それを甘受する意味で引用してみようと思います。

眼前の問題ほど目立つものだし、気にもなり、しばしば何か重要な事柄を含んでいるように見えるものである。だが、歴史が教えているのは別のことである、本質的な問題はそんなに目移りするものではないからである。

春からのことを考えても示唆深いですね。その文脈でもう一つ、せっかくなので一番初めの部分からも引用させてください。

本質的な問いは、しばしばその答えを得るためというよりも、その問いの実質を深めるために存在している。

だから性急に「答え」を求めるな。あまり本質本質と言われるのは生理的には好きではないので須賀、何かこの二つの言葉に通底する慎重さと言うか、謙虚さというのは大事だと思ったので。こう考えてみると、実は前述の思想家より誰より、著者の言葉が心に残った気がします。

*1:決してその逆ではありません。あと甲殻機動隊についてもひたすら語ってましたねww

*2:まぁそれらの脱線話を大きな流れの中に位置付けるという意味では興味深かったですけど