- 作者: 大澤真幸,姜尚中
- 出版社/メーカー: 有斐閣
- 発売日: 2009/08/01
- メディア: 単行本
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各章それぞれ書き手が違い、一番骨があったのは編者の一人、大澤真幸の序章だったように思いま須賀、この序章は本人の意図通りの読者への謎かけというよりは、とにかく読者を煙に巻いてしまおうみたいな印象で、ちょっと困惑しましたかね。例えば著者は「無名戦士の墓碑」を引き合いに出して、ナショナリティは生まれる前に決まっているようなものでありながら、自己責任で選択するからこそのはずの「命を賭す」という行為が成り立っているとして、「ナショナリティ(ネーションへの帰属)が、社会学で言うところの「生得的地位(先天的に決定されている地位)/獲得的地位(後天的に獲得された地位)」の二分法の中に収まらない」と主張しているんで須賀、これはナショナリティが生得的でナショナリズムが獲得的だと整理すると何かまずいんですかね? この例の中で日本の靖国神社を思い出してしまうと話がややややこしくなるんですけど、命を賭す行為が著者の言うとおり自己責任で選択されたものである、という理念型について述べるなら、そこで彼/彼女がコミットしたのは「ナショナリティ」ではなく「ナショナリズム」であるはずです。逆に、「ナショナリティに命を賭す」という*1見解は、言わばナショナリストの規範的見解であって*2、ナショナリティそのものの説明にはなっていないように思います。
あともうちょっと言うなら、最後の第4部「今日のナショナリズム」の3章はなんだか浮ついた議論が多くて、こういう概説書には要らなかったですかねw 思想地図の第1巻にも面白い文章を書いていた黒宮一太の論理構成は相変わらず天才的で、なんでそうなるのかバカな私にはあまりよくわかりませんでしたし、生姜先生は最近ウォーラステインに感銘を受けたらしいというのはよくわかったので須賀、ウォーラステインと現在ナショナリズム分析のみならず、「東アジア共同の家」構想や自身の著書『在日』のエッセンスまでこの紙幅に突っ込もうというのは土台無理な話で、四つのうちどのペアもうまく溶け合わず、水と油のように分離したままという印象が拭えませんでした。
それでも振り返ってみるととても面白かったなあというのが正直な感想で、ライフワークという言い方がどうなのかわかりませんが、この分野はもっと勉強していきたいです。その意味で逆に最も残念だったのは、ナショナリズムについての心理学的な分析という視点が欠如していたことです。ナショナリズムはその起源においても影響においても、政治学や社会学がその分析のメインであることに異議はないので須賀、じゃあ実際それが人間心理のどんなところに根差しているのか、とか、そういう部分も興味のあるところなんですけどね。あんま専門にする人いないんですかね。。。