動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)
- 作者: 東浩紀
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2001/11/20
- メディア: 新書
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ボードリヤールの「シミュラークル」論やリオタールの「大きな物語」論など*1に準拠しながら、萌えの対象になっているキャラクターを、もはやオリジナルではなく一つのシミュラークルとして消費する「小さな物語」への欲求と、それらを要素に分解し集積したデータベースを手にいれ、二次創作に興じようとする「大きな非物語」への欲望の二つが別個に共存する「解離的」心性に、オタク系文化のポストモダン性がある、と豊富な事例をもとに論じています。その部分の立論が非常に具体的で明快で、そういったオタク系文化にそうなじみのない私にもとてもよく分かったので須賀、その一歩先の話がピンときませんでした。彼は、コジェーヴの言うとおりポストモダン化した社会で人間は「動物化*2」しており、オタクの行動も動物そのものだ、と述べていて、彼らの社交性や「保守的なセクシュアリティ*3」に動物的な特徴が出ている、と主張しています。ただ、奇しくも彼自身が言っている通り、オタクの社交性の問題が「オタク系文化にかぎらず、九〇年代の社会を一般に特徴づけてきたもの」であるなら、「オタクの動物性」を叫ぶことにどのくらい意味があるのかよくわからなかったのです。オタク系文化がポストモダン的で、ポストモダン社会で人間が動物化していることには私は納得していて、であればポストモダン社会を生きる人間の部分集合であるオタクたちも、それ以外の人々と変わらない意味で動物化していると言いたいのならそれは結構なので須賀、オタクたちをポストモダンの寵児とみなし、それ以上の動物性をオタク系文化に付与しようとしているのなら*4その部分はうまくいかなかったかな、という気がします。ついでに言うなら、オタク系文化の日本への執着は敗戦のトラウマゆえだ、というのも、話としては面白いんで須賀推論の域を出ない印象を受けました。
それにしても2001年のサブカルチャーについて書かれた本を今呼んで「へぇー」とか言ってるのも情けない話ではあります。『YU-NO』とか全然知りませんでしたが、