かぶとむしアル中

取材現場を離れて久しい新聞社員のブログ。 本の感想や旅行記(北朝鮮・竹島上陸など。最初の記事から飛べます)。

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ロリータ (新潮文庫)

ロリータ (新潮文庫)

私の浅い読書経験の中からは少なくとも、これほどに整理して評価することの難しい小説に出会ったことは恐らくなかったかと思います。例えば私がある席で、今『ロリータ』という小説を読んでいるという話をした時に受けた反応は、読み終えた今私がこの小説に持った感想の中では副次的な、ぶっちゃけないならないでなんとかなるんじゃないかというようなファクター―と言うよりこれは完全にメディア的なステレオタイプ―でありました。一方で本編を一読した後に読んだ注釈*1からは、この小説が私には到底フォローしきれないほど膨大な、ウィットに富んだ言語遊戯に満ちていることを知らされました。そしてもちろん、私がそう読んだように、フェイクめいたものも含めた伏線に満ち満ちした、探偵小説のように読むことも可能でしょう。
このように多様な読みが可能であることは訳者も解説を書いている大江健三郎も認めていることで、それをつべこべ並べ立ててもあんまり面白くないので本編については三つだけ。まずさっき挙げた伏線の多さなので須賀、これはこの長編の小説を読み進める大きな原動力になった反面、正直手法としてのあざとさを感じないわけでもありませんでした。って言ってもそれを責める気は全くありませんけどね。そこは「人は小説を読むことはできない。ただ再読することができるだけだ*2」という名言を吐いたナボコフの、言わば面目躍如ということなのでしょう。
二つ目も前述の言語遊戯についてです。主人公であるハンバート・ハンバートがヨーロッパ出身のインテリという設定であったこともあって、主にヨーロッパの文学や思想をネタにする言葉遊びがかなりの数散りばめられていてちょっと手に負えなかったので須賀、しきりにフロイトをあてこすっているらしいのは結構面白かったですね。あと同じロシアの出身である文豪・ドストエフスキーのモチーフへの違和感を、表明したような部分もあったように感じられました。
最後は本編に関する直感的な感想です。ここでオチやらあらすじやらを口走るというのは自重する、という条件の下で言うなら、やはり過去の恋愛感情を引きずるっていうのは切ないことだな、ということです。もちろんそれはロリータ自身に最も当てはまる言葉なのだと思うので須賀、俗に言うなら「異常性愛のロリコンオヤジ」であるハンバート・ハンバートその人すらも、「時間の流れに翻弄された」と評することができるのではないでしょうか。その意味で私は、彼に対して同情の念を感じるのを禁じえません。
あとこれは小説そのものではないので須賀、ナボコフ自身が追加した「『ロリータ』と題する書物について」が、彼の文学論的なものも垣間見えて非常に興味深かったです。機会があれば『ヨーロッパ文学講義』にも挑戦してみたいですね。
てなわけで本編に関しては、主人公である「異常性愛のロリコンオヤジ」に同情を表明してレビューを終える*3わけで須賀、そんな私は『ロリータ』を読んでいると告白した時に言われたように「ロリコン」なのでしょうか(笑)

*1:このバージョンだとそうするように指示がされています

*2:『ヨーロッパ文学講義』

*3:これはちょっと勇気が要ったwww