かぶとむしアル中

取材現場を離れて久しい新聞社員のブログ。 本の感想や旅行記(北朝鮮・竹島上陸など。最初の記事から飛べます)。

北朝鮮竹島イラン旅行記
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『戦争はいかに終結したか』(千々和泰明)、『国際秩序』(細谷雄一)

【目次】

 

想像を超える複雑な因果律が編み出すのが歴史で、その切り口も非常に多彩であり得る半面、切って見せる以上は、断面がどんな模様になったか常に問われます。国際政治学において、歴史を踏まえてモデル化をするのはそんな営みなのではないでしょうか。

朝三暮四?のトレードオフ

この本は、戦争がどのような形で終結するかを「現在の犠牲」と「将来の危険」のトレードオフから検討しています。前者が後者を上回った場合*1、「妥協的和平」がなされることが多く、逆の場合*2は「紛争原因の根本的解決」が志向されます。両者が拮抗すると、劣勢側にも交渉の余地が生じ得るので須賀、アジア太平洋における第二次世界大戦のように、双方の意思疎通がうまくいかないと、より多くの犠牲が生まれることにもなります。

ウォルツが言うところの国際システムのレベル*3における分析としては合理的なモデルだと感じま須賀、個人のレベルの思惑などが絡んでくる場合、それをどこまで盛り込んでいけるかは検討が必要な気がしました。本書で事例となっているイラク戦争については、まさに米国首脳の個性や利害が注目された経緯があります。

三つの体系が織りなす秩序

こちらは18世紀以降の国際秩序を、「均衡の体系(バランスオブパワー)」「協調の体系(大国間協調)」「共同体の体系(カント的世界共同体)」の組み合わせと捉えて分析していきます。具体的には、均衡のみのビスマルク体制、均衡による協調が成り立ったウィーン体制、均衡を否定し共同体を志向した(ため失敗した)国際連盟構想、ドイツ分割・安保理・総会がそれぞれの機能を果たした戦後の国際連合体制…と、著者は分類します。

興味深いのは、均衡の体系が持続するためには一定の自制や同胞意識が必要だった、と論じている点です。それが満たされたウィーン体制と欠く代わりに一政治家の芸術的な立ち回りを必要としたビスマルク体制を対比するに、この条件は「均衡の体系」の外にあるのだと理解しました*4が、(よく使われる用語で言えば)リアリズムもリベラリズムもそれ一本で自立するわけではなく、複数の体系の組み合わせがその国際秩序の展開や寿命を決めていく…というコンセプトは面白かったです。

戦争終結と新たな秩序

どちらの議論も、この本の議論とつなげて考えることができます。 

『アフター・ヴィクトリー』(ジョン・アイケンベリー) - かぶとむしアル中

妥協的和平による戦争終結は、優勢側が国際秩序を形成する力を阻むでしょう(その証拠に「妥協点和平」とアイケンベリーが論じた新たな秩序形成の時期は重なりません)。戦後秩序を力むき出しのものにするのではなく、協調や共同体形成の方向へ制度化していくことは、その秩序を持続させ、長期的には当時の勝者に有利にすら働き得ます。

妥協点和平が想定できないほどの「将来の危険」があると当事者がみなすような国際政治環境は、構造的な再編を免れないということなのでしょう。当たり前すぎて退屈な結論になってしまいましたが、それはこれらの議論が提示する切り口の穏当さを示すものでもあると思います。

*1:本書では朝鮮戦争ベトナム戦争

*2:典型的には欧州での第二次世界大戦

*3:国対国や国際秩序

*4:この辺はもう少し整理されるとよいと思います