かぶとむしアル中

取材現場を離れて久しい新聞社員のブログ。 本の感想や旅行記(北朝鮮・竹島上陸など。最初の記事から飛べます)。

北朝鮮竹島イラン旅行記
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福島・宮城を訪ねて

GWの最終盤に、個人的に東北地方に出かけてきました。中国東北地方(旧満州)は昔から行ってみたいところではあるので須賀、今回出かけたのは日本の東北地方、東日本大震災で被災した地域の一部です。と言っても、現地滞在はほぼ一日というような強行軍でありまして、それでもってなにか賢しらに「被災地の現状」について述べ立てようというような意思は一切持ち合わせておりません。で須賀、行ってきた感想くらいは残しておきたいと、ここに筆をとりました。
当日のルートは、早朝から福島第一原発半径20キロ圏周辺を回り、そのまま仙台市まで太平洋側を北上…というものでした。原発津波。この震災で大きな被害を生み、そして今も生み続けている2つをキーワードに、簡単に感想を述べたいと思います。

具体的には、楢葉町川内村田村市葛尾村浪江町、川俣町など、大まかに言えば原発から半径20キロの円の外縁を時計回りに回ってきました。もちろん圏内に入れないように規制がなされています。
*1
私はこの地域を初めて訪れたので、原発事故発生以後で人影がなくなったと評することができるのかどうか、そもそも判断材料を持っていません。休日の午前8時前後という時間が作用したのかもしれません。しかし、川内村から浪江町を走っているときに見かけた人の数は、その前*2と後*3に比べてやはりぐんと少なかったというのが率直な印象です。これは当然、避難に関する政府のエリア設定の影響を大きく受けているのでしょう。
しかしそんな川内村では、犬の散歩などをする2〜3人とすれ違いました。鯉のぼりを掲げている家もありましたし、洗濯物を干している家もありました*4。間違いなく過去において、この場所には地域の人たちの生活がありました。当たり前ですね。そして今でも、その少なからずは避難したとはいえ、彼らの生活があります。私は知人に借りた線量計を持ってこの地域を回っていて、原発から離れた我が家との線量計の反応の違いに驚き、おののいてもいたので須賀、人々がただ平穏に暮らしていたこの地域に、突如それだけの放射線が降り注いだのだという当たり前のことを、この場で見せつけられた気がしました。ちなみに言っておきますと、線量計そのものや私の測定方法がどのくらい正確なものであるか保証の限りではありませんが、私が計測した数値やその傾向は、発表になっているものとそう極端には違っていなかったようです*5

  • 太平洋沿いの津波被害など

こちらは福島県新地町、宮城県の山元町、亘理町名取市などを見てまいりました。本当は海沿いをずっと走りたかったので須賀、それこそ復旧作業中で一般車の通行が制限されている路線が多く、断片的にはなってしまいました。
*6
幹線道路から海側に入ると、こんな光景が広がっています。もっと「ひどい」ものも見てきました。これは恐らく私の認識の甘さなので生姜、震災からもうすぐ2カ月になろうとしている中で、仙台からほど近い町の農地にゴロゴロと車が転がっている光景には正直言って驚きました。仙台では仙台在住の友人にも会って話を聞いたので須賀、今は被災した建物からがれきを取り出す作業が主に行われているようで、それも1軒分でトレーラー1台がいっぱいになってしまうなど、そう簡単に進むわけでもないとか。加えて言うには、仙台市ほど財政力などのない北部の小さな町では、復旧が特に遅れているのだそうです。
そうした驚きの反面、妙に納得してしまった部分もありました。これは多分に御幣を招きかねない表現*7なので補足させていただきたいので須賀、震災直後から宮城を襲う黒い津波の映像を何度となく見ていたせいか、眼前に広がるそれこそ文字通りのがれきの山を見るにつけ、脳裏に浮かんだのが「あの津波が来た結果、こうなってしまったのだな」という因果律でした。「自然への畏れ」とまで言えるのかは分かりませんが、「あんな津波が来たのなら…」という理解の仕方をしたのも一方の事実です。
その上で一番感じたことは、「震災」を「流行りネタ」にしてはならないのではないか、ということです。流行りのものは、いつか飽きられます。そのことから完全に無縁な事象というのも、恐らく存在しえないでしょう。しかし、まだこれだけの自動車が農地に転がっている現状を見て思ったのは、被災した人々をめぐる出来事が「悲しみの涙と力強い復興の物語」として過剰に演出され、消費され、飽きられるという一連のパターンに対し、出したり受けたりのコミュニケーション行為に様々な形で関わる一人ひとりがあらがっていくことが、長い時間と労力をかけて震災の被害を乗り越えていくことに寄与するのではないかということでした。
いつからそこにあるのか、がれきが残るあぜ道にタンポポが咲いていました。近くにあった魚の死骸とのコントラストは、ある種の残酷さを感じさせるものかもしれません。それでも、そこに咲く花は、時間が3月11日で止まってしまったわけではないことを教えてくれます。復興はこれからです。

*1:福島県楢葉町の国道6号線沿い

*2:いわき市など

*3:川俣町北西部

*4:それらの家に人が住んでいるかどうか確かめたわけではありません

*5:そう評価できるのかどうかも私の知識の範疇の外なのかもしれませんが

*6:宮城県名取市周辺

*7:もちろん、誰かさんみたいに天罰云々と言う意図ではありません