かぶとむしアル中

取材現場を離れて久しい新聞社員のブログ。 本の感想や旅行記(北朝鮮・竹島上陸など。最初の記事から飛べます)。

北朝鮮竹島イラン旅行記
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サンタは市役所職員?

巷はクリスマスだそうで須賀、酒を飲んで寝るといういつも通りの休日を過ごさせていただきました。
そう言えば、皆さんはいつごろまでサンタクロースを信じていましたか? 「サンタクロースを信じる」というのも多分一筋縄ではいかない言葉で、これは私の認知する限り、日本の社会においては「サンタクロースなるものは実在しない(伝説上の存在である)」ということを前提にしています。しかし、フィンランドには政府が公認したサンタクロースという人が複数いるそうで、その意味でフィンランド政府の見解は「サンタクロースは実在する」となる。ただ、そういう意味でのいるいないを言っているわけでもなく、これまた私の解釈では、「サンタクロースを信じる」とは「クリスマスイブの夜に子供の枕元などに置かれるプレゼントは、サンタクロースによるものであると信じる」ことなんだと思います。
私自身はその意味において、いつまで「サンタクロースを信じていた」かはよく覚えていません。ただ、中学校に入るくらいまで、毎年サンタクロースと称して私にプレゼントをくれていたのが誰であったか、正しくは認識していませんでした。
毎日のように担任と揚げ足取りの口論をしていた小学6年生が、まさかトナカイのそりが空を飛んでくるなんてことを信じていたわけではありませんで、それ以外の別の存在が「サンタ」を装い、その機能を果たしているはずだ、と思い込んでいたのでした。確か、小学校に上がる前後からだったと思います。毎年クリスマスにプレゼントをくれているのは、市役所の職員だと確信していました。
それがなぜなのかは今もってよく分からないと言えば分らなかったので須賀、強いて言えば、その時期までにきょうだいそれぞれ靴下に入ったお菓子の詰め合わせのようなものをもらっていたことがあって*1、いかにもそれっぽい定番モノを複数プレゼントするやり方が、どこで見聞きしてきたのか、行政のやり方と私の中で重なったのではないかと推測できます。あるいは、「全ての子供にプレゼントを配る」(当時私はそう信じていた)ことができるのは、公の機関しかないだろうと思ったのかもしれません。
ちなみに私がもらったものの中で一番覚えているのはスーパーファミコンソフトのドンキーコングで、私が何が欲しいか母親がそれとなく聞き出そうとしているのも内心気づいてはいましたが、「きっと子供が欲しいものを親が聞き出して、その内容を市役所に申請するのだろう」と決めつけ、「この場で暴露すると気の毒だから黙っておこう」と、これから母親が、その時の私の発言を根拠に「うちの息子はドンキーコングが欲しいそうです」と市役所に申請するだろうことに「気付かないふり」をしていました。
そのくらい強固だった「サンタクロース市役所説」を打ち砕いたのは、父親とのこんな会話だったと記憶しています。
父親「お前はもうサンタが誰だかしっとるやろ?」
私「えっ、市役所が配ってるんじゃないの?」
父親「wwwwwwwwwwwwwwww 妹たちには言うなよ」



そのせいかどうか、クリスマスに対する関心が非常に低い人間に育ってしまいましたが、他人の崇める神様*2を面前で罵倒することは好ましくないことだと、ここ数年は考えています。
クリスマスがお好きな皆さん、ぜひ、よいクリスマスをお迎えください。

*1:別のものももらっていたんだと思うので須賀その印象が強く

*2:別に宗教のことだけでなく、価値観全体を指しているつもりです