かぶとむしアル中

取材現場を離れて久しい新聞社員のブログ。 本の感想や旅行記(北朝鮮・竹島上陸など。最初の記事から飛べます)。

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『ジャーナリズムの可能性 (ジャーナリズムの条件 4)』(責任編集・野中章弘)

ジャーナリズムの可能性 (ジャーナリズムの条件 4)

ジャーナリズムの可能性 (ジャーナリズムの条件 4)

4巻続きの最終巻です。テーマはマスメディアの再生、ネットなどを用いた市民型メディア、ジャーナリスト教育の3本立てで、基本的にはジャーナリズムの未来を考える最も前向きな巻であるはずが、市民型メディアがいわゆるマスメディアの現状への批判を原動力の一つにしているという背景からか、組織ジャーナリズムに属する我が身とも照らし合わせると、あまり前向きな気分にもなれませんでした*1
ただ、自分が今どうこうではなく、ある種硬直化したマスメディア環境を打ち崩さんとそうした試みが生まれてきていることは、日本のジャーナリズムにとって、もっと言えば民主主義にとってもちろん好ましいことです。そして私がこの場で新聞社の記者である*2ということを明かしながら、厚顔無恥にも「こういう報道はひどいよね(笑)」といった感想を並べ立て続けているのも、より多様な言説空間をという思いがあってこそです*3。当然、この本が出た5年半前とは大分(恐らく最も)状況が変わってきているジャンルではありま須賀、だからこそ、こうした動向にもちゃんと追いついていかねばならないと感じました。
こうして、グダグダと何カ月かかけてシリーズを読み終えました。読み始めた最大の動機は何だったかというと、自分は今、記者としてどんなことを意識して、どのように振る舞うべきかということを考えたい、ということでした。率直に言って、こんな体たらくで続けていっていいものか、そもそも自分に務まるものなのか、というややシリアスな悩みもありました。後者の問いの答えはこのシリーズには書いていませんでしたし、そもそもそんなことが本に書いてあると期待すること自体が甘いでしょう。ただ前者には、一つ明確な答えがあったと思います。「もっと食い付け」。事象との巡り合わせはあると思います。ただ、時間や組織上の制約を言い訳にできる職場環境にないことは認めなければなりません。
以前読んだ『読んでいない本について堂々と語る方法』という本に、心構えとして「自分自身について語る」というものが紹介されていました。これ以上続けると私が本当はこのシリーズを読んでいないのではないかと疑われてしまいそうなのでこのくらいにしておきま須賀、一言、読んだ証拠を残させていただきますと、4巻の金平茂紀氏の論文では、「ジャーナリズムに国境はあるか? ま、興味ないかwww」という趣旨の記述が繰り返されていました。

*1:批判されて拗ねている、という意味ではありませんw

*2:始めた当初は違いましたが

*3:当然そのために社内で果たすべき役割というのもあります