かぶとむしアル中

取材現場を離れて久しい新聞社員のブログ。 本の感想や旅行記(北朝鮮・竹島上陸など。最初の記事から飛べます)。

北朝鮮竹島イラン旅行記
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『壁』(安部公房)

壁 (新潮文庫)

壁 (新潮文庫)

6つの短編からなる作品集です。と言ってもこの文庫本の中には『壁』という作品はなく、「壁」の単語がいくつかの作品の中に出てくるというような塩梅になっているので須賀、どうも石川淳の序を読んだことで、本を閉じるまで終始「壁」という言葉が脳裏から離れませんでした。まぁそれにものすごい違和感を感じたわけでもないので須賀。
『S・カルマ氏の犯罪』をはじめ、正直言って全然消化しきれていないので須賀、やはりどんな壁の話かというと、まずは人間の内面と外面を分ける壁なんだと思います。こう言うと「そんなものが確固たる形で存在するのか!」とのお叱りを方々から受けそうで須賀、まさにそこがミソなのです。登場するのは、名前という自分をアイデンティファイする「壁」を失った人だったり、内心の「壁」の中にしまっていたはずのものが悉く具現化してしまったり、生活のために「壁」に囲まれた部屋から出る必要が不意になくなったり… あるはずの「壁」が消え、越えていたはずの「壁」を越えなくなる。そんなある種の思考実験は、読者を「てかそもそもそんな壁ってあるの?」というような、「壁」に関する所与の状態を見直すことへと導くのではないでしょう、か? これは多分、人間の内面―外面に限った話ではないんだと思います。かくいう私は、カルマ氏を読みながら「作中に出てくる『必然と偶然のけじめ』なんてないんじゃないのかなあ」てなことを考えていたので須賀、今の私の論旨ではまさに、そういう風に「壁」に関する前提をなんとなく解きほぐしてくれる、そんな一冊だったかなあと感じています。
ただまあいかんせん「壁」ですからね。序の影響みたいなことにも冒頭で言及しましたが、寓話っぽい短編小説のほとんどに『壁』というタイトルをつけることは恐らく可能*1でしょうし、これらの愉快な作品群を唯一「壁」という世界観で塗りつぶしてしまうのも興ざめです。どんな部分にどんな意味付けをするのかはお好みで、あるいは楽しく読み、あるいは著者から何らかの含蓄や警句を受け取った気になることができればよいのではないでしょうか。というあたりで如何でしょうか?

*1:もちろんタイトルと中身を関連付けなければならないという法はどこにもないので須賀、関連付けるとしてその命名が可能かどうかということを述べ、それによって「壁」という言葉のメタファーとしての大きさ、言い換えればテーマとしての大きさを指摘する意図でこう書きました