- 作者: 松本修
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1996/11/29
- メディア: 文庫
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いつも通り「ただ」と断るなら、この本にたびたび登場している方言周圏論は、全体の議論の論理的前提なのか、それとも結論であるのか*2、その上でこの論理展開がどのくらい妥当か、という部分は少し悩むところでもありました。具体的に言うなら、「全国アンケートの結果方言周圏論が成り立つかもしれない」→「成り立つとすれば、「バカ」の語源はこうだと推測される(他説に問題があり、自説にさしあたって問題がない)」→「語源がそうなら、ますます方言周圏論は妥当と言える」というのは、いささか循環論法に陥ってはいないかという心配です。結構昔に読んだ通り世の中で正しいとされていることの「99.9%は仮説」である以上、何かを言うということは仮説の中で妥当性を高めていくことだという側面は否定できませんし、仮定に仮定を積み上げるのは敬愛(笑)する生姜先生チックで愛おしくもあるので須賀、特に詳細な言及のあった「アホ」「バカ」二語の語源説について、特に大きな矛盾点がないことは認めるもののどちらも決定打に欠ける気がするんですよね。私はこの分野では全くの素人なので、どのくらいの論証を以てよしとするのかそもそもわからないんで須賀…
あともうひとつ、ウェーバーの「学問の価値自由」というほどのことでもないで須賀、こういう民俗やら文化の議論に「日本人のあるべきメンタリティ」みたいな気持ち悪い主観が絡むとしんどいですよね。「心根のよい日本人はアホ・バカ表現で、直接的に愚かさを表す表現を用いるのを避け、婉曲的表現を楽しんできた」という著者の主観はあちこちで述べられ、またその信念が彼の研究の原動力ともなっているようなので須賀、そういう「不純な」動機での研究は、いくら精緻で的確でもかなり眉唾で聞かざるを得なくなってしまいます。沖縄での「フリムン」という表現が「触れ者(=気が触れた人)」ではなく「惚れ者(=ぼんやりした人)」であるという彼の執念の論考は、私は結果的に成功しているとは思いま須賀、特定の信念に基づいた結論ありきでの議論はいつ体のいいこじつけを生むともしれません。前段落との対比も問題になるでしょうが、仮説を立てるということは慎重に、禁欲的にせねばならないことだと思うのです*3。あ、別に私がそういう考え方が大嫌いだから嫌がらせで言っているわけではありません*4からねwww
あと、これは著者の指摘でもあるので須賀、「アホ・バカ表現」をとっても方言周圏論だけでは説明できない。「ハンカクサイ」のように江戸期の北前船の影響もあれば、藩の枠組みという問題もあります。もっと言えば、明治以降にいわゆる「標準語」がどう形成されて、どのように広まったのかというのは、現代の話し言葉に直接影響する問いです。私は最後の論点に最も興味をひかれたので須賀、こうした様々な要素を、もちろん方言周圏論を含めて検討することが、この分布図を楽しく眺めるための一番のポイントである気がします。
とにもかくにも、精緻な調査と巧みな筆致で私を言語地理学の世界に引き寄せたこの本は結構なヒットでした。面白かったのでもっと言いたいことはあるので須賀、このくらいにしておこうと思います。
ちなみに私はと言えば、特にどの方言の話者ということにもならないんだと思いま須賀、中国の想像上の生物「田蔵田」が由来とされ東日本に分布する「タクラダ」系の表現が一番気に入りました。「他クラだ」だなんてもうwwwwwwwwwwwww