- 作者: 熊谷奈緒子
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2014/06/04
- メディア: 単行本
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- 『戦争を記憶する』(藤原帰一)
戦争を記憶する 広島・ホロコーストと現在 (講談社現代新書)
- 作者: 藤原帰一
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2001/02/20
- メディア: 新書
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『慰安婦問題』は、「日本軍や官憲による慰安婦強制連行の事実を示す公的文書があったか」といった、決して不要とは言わないが部分的な議論に拘泥するのではなく、現在判明している慰安所・婦の「多様性」を紹介しながら、各国比較や広く戦時性暴力の問題にも言及しています。加えて、村山富一内閣下に始まるアジア女性基金が左右双方から批判を受けたことやそれに対する「再反論」、ジェンダーの視点における女性国際戦犯法廷の意義―などが収められています。ちなみにこの女性国際戦犯法廷、さらっと名前だけ出しましたが、(主催者にとっては不本意なことに)取り組みそのものよりも、現首相らによるNHKへの政治的介入問題やそれに引き続いて起こったNHKと朝日新聞の泥仕合によって知られています…と紹介すべきかもしれません*1。
『戦争を記憶する』では、広島への原爆投下とナチスによるホロコーストを対比させながら、戦争の意味付けや記憶をめぐる違い、そしてそれに基づく争いがなぜ、どのようにして起こるのかを検討していきます。文学や著者が愛してやまない映画を通じ、日米の戦争に関する「思想史」(と言っていいレベルだと思います)を跡づけ、「日本国民はあの戦争をすべからくどう捉えたか」というような大文字の「国民の記憶」を相対化する。その取り組みは冷静沈着なものでありながら、内心執筆当時(にも)跋扈していた歴史修正主義的な主張に矛先を向けていた、と私は読みました。
こうして、二つの視座からこの問題を眺め直して見えてくるのは、いかに議論が矮小化・単純化されているかということです。慰安所での慰安婦の強制的管理や暴力の問題を差し置いて、政府による強制連行を否定することが本当に日本の名誉たり得るのか、と熊谷氏は批判しますし、藤原先生は「国民化」に至る風景を描写し、それに意識的・無意識的に抗う難しさを述べながらも「『一億』丸ごとの『総懺悔』や開き直りに、意味があるとは思えない」と喝破するわけです。
『戦争を記憶する』はなんと9•11の前、『慰安婦問題』も朝日がビローンしてしまう前の本ではありま須賀、それだけにより大きな観点から考えてみるにはよいかもしれません。
ちなみに『戦争を記憶する』は一度読んだだけで置いておくにはもったいない好著だと思います。その社会や人が直近の戦争をどう捉えるかが平和観に大きく影響するという考え方は非常に示唆的で、歴史修正主義的政権が「積極的平和主義」とかなんとか言い出すのもまさにその範疇でしょう。その点、その文脈における著者のこのような認識は、13 年という時間の流れを感じさせるものでした。
憲法第九条への支持が揺らぎ、現実の一部として軍隊を認める声も、大きくはなった。だがその声も、現実をみろという呼びかけであって戦争の正当化ではない。武力行使によってこそ正義が実現されるのだ、そんな威勢のよい正戦論は、日本ではまだ少数意見だろう。
*1:ちなみにこの本にはその件についての言及は一切ありません