かぶとむしアル中

取材現場を離れて久しい新聞社員のブログ。 本の感想や旅行記(北朝鮮・竹島上陸など。最初の記事から飛べます)。

北朝鮮竹島イラン旅行記
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参院選始まる/読んでくれる人に対して誠実な記事を書きたい件

24日に参院選が公示され、いよいよ選挙戦に突入しました。早くも情勢に関する序盤世論調査なんてものが出ている報道機関もあるようで須賀、よく考えてみれば菅直人内閣成立からまだ約3週間しか経っていないのに対して、投票日まではあと2週間もあります。消費税が急激に争点化したのも、その菅内閣においてでした。そう考えると、まだまだ選挙情勢は動く可能性があるんじゃないかと思います。選挙区の投票態度を決めていない人が読売新聞の調査で約3割、朝日新聞に至っては約5割いるという結果がその証左ではないでしょうか。まあ新聞の世論調査の結果をどのくらい信じるかという問題は付きまとうわけですけれども。
そんなわけで私も、とある選挙区候補をあちこち追いかけまわすのが日課になりつつあります。選挙区が都道府県単位と結構広いのは難点と言えば難点で須賀、「仕事と称して小旅行ができる」くらいの心構えでいようと思います。明日も近場ではないんですよね…
それはともかく、そうやって候補者を追いまわす中で、候補者や応援演説者の言動を紹介することが重要な仕事の一つになってきます。私たちが選びうる選択肢の一つがどんな候補なのか、所属する党はどんな考え方なのかをより誠実に伝えることは、市民の知る権利に奉仕するという、私が考えるジャーナリズムの重要な役割の一つと合致すると考えていますので、仕事にはいつも以上のやる気と緊張感をもって臨んでいます。
ただその中でも制約は出てきます。特に公示後においては、各候補、各政党を公平に扱うという名目で、そのそれぞれに関する記事の長さが一律に設定されます*1 *2。そして当然、口語と文語は違うわけですから、新聞記事としてすんなり読めるように表現を馴らす必要も出てくる。ここまでは技術的な話でしたが、そもそも論として発言者の意図をいかに解釈して読み解くのかというコミュニケーション論的問題や、その中でどの部分をニュースとして取捨選択すべきかというジャーナリズム論的問題も当然のように横たわっています。そして何よりも、それらの要素を判断する上でのタイムリミットというのが厳然と存在するわけです(苦笑)
じゃあその中でどんな判断をしていくのか。私はまだぺーぺーですから、その辺の相談をよく上司や先輩にするわけなんで須賀、残念なことにそこで往々にして出てくるのは「誰かから文句が来ないように」という判断基準だったりするのです。確かに誰か(多くの場合関係者)から「特定の候補を貶めている!」という抗議が来ることは、出来うる限りは避けたいものです。で須賀、「関係者の怒りを買わない」添削が、遍く読者に対して誠実な態度に必ずしも直結するでしょうか? 字数や文脈の座りの関係で「こう直しても陣営から文句は来ないでしょ?」とちょちょっと表現を変えてしまうと、実は本人が言ったこととはちょっとずつ意味がずれてきてしまう。もちろん確かに、編集するということがまず取捨選択であり表現の改変である以上、その場で起こったこと、あった発言をそっくりそのまま投げかけることは原理的に不可能です。むしろ、今後プロの記者・編集者に存在意義があるとすれば、その営為をいかにこなすかというところにあるのでしょう。それでも、自分の手でそのことを行っているという葛藤と向き合わなければ、また向き合った時に読者ではなく関係者の方を向いて考えてしまったら、そうして出てきた記事が読み手の知る権利にどれほど奉仕していると言えるでしょうか? 関係者を怒らせないことは十分条件ではないはずです。
…結構激しいことを書きました。念のため言っておきま須賀、ここにこんなことを書いているのは特定の誰かに対する当てこすりなどでは全くなくて、多くには自分への戒めと、少しには、私が日ごろヘラヘラしているようでも、原稿を書く現場にこんな葛藤もあったりするんだよということを紹介してみたかったということに尽きます。
私はマスメディアが公立中正であるべきだとも、そもそもそんなことが可能だとも思いませんが、せめてわざわざ記事を読んでくれる人に対して誠実でありたいと、切に思っています。

*1:「各候補10行で」のような指示が毎回のように飛びます

*2:どういう理由でそうしているのかは今度聞いてみます。逆に言うと、ここでこの話をするまで私はその点に疑問を持たなかったということであって、自分の仕事に無批判になってしまうのはつくづく恐ろしいものです