かぶとむしアル中

取材現場を離れて久しい新聞社員のブログ。 本の感想や旅行記(北朝鮮・竹島上陸など。最初の記事から飛べます)。

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NHKブックス別巻 思想地図 vol.1 特集・日本

NHKブックス別巻 思想地図 vol.1 特集・日本

『東京から考える』でおなじみの「AK砲」*1のお二人が編集する思想系雑誌の第一巻です。
「思想」地図でテーマは「日本」ということなので須賀、メタ日本論*2からアニメ文化まで、政治思想からジャーナリスティックな問題提起までと幅広い論文と対談が掲載されており、とても勉強になりました。ただ『動物化するポストモダン』の東浩紀と、『嗤う日本の「ナショナリズム」』の北田暁大*3が編集とあって、この二つの論点に引っ張られたものは多かった気がしま須賀。
雑誌なので全体として一つのレビューを書いても仕方ありませんし、一冊全体で「日本」が見える!ほど締まりのある感じでもありませんので、ごく簡単に。
一つ挙げるなら、冒頭のシンポジウムとAK砲+萱野稔人の鼎談は読み応えがありました。特に鼎談になると、それぞれがしょって立つ分野を賭けるような気迫で議論が展開されていて面白かったです。やはりその中で「暴力装置としての国家」という政治学の肝と言うべきスタンスで臨んだ萱野は(一応政治コースに所属していた)私の眼にはかっこよく映ったので須賀、最後やはり「じゃあなぜナショナリズムなのか?」というところに説得力がなかったように思います。確かに萱野の言うとおり、歴史的には「ナショナリズムは、国家の暴力を一部の権力者のためという私的なものからパブリックなものにし、その国家の暴力を民衆のものとしてコントロールする可能性を開」いたので生姜、それでも「国民が政府をコントロールすべきだというのはわかる。原理論も理解できる。でも、いまの日本の問題を解決するためにナショナリズムを再生するべきだ、という発想はわからない」(東)というのが私の実感でもあります。理性的主体と言われた時代に、ナショナリズム暴力装置としての国家を民主化したことは歴史的に事実でしょう。しかし、そんな主体がホントに存在するのか。丸山真男が批判し、坂口安吾が「人間性の正しい発露」と称賛した人間像*4が敗戦で象徴的に露呈し、さらには近年ポストモダンにおける「動物的主体」が指摘される日本で*5、果たしてそれが通用するのか。そう考えると、北田がまとめの方で言っていたような「国家の唯一性の相対化」というのも、こういった人間主体への認識の変化と無関係でないようにも思えてきます。
この問題意識は4章の「共和主義の再発明」にある二論文にも引き継がれていて興味深いので須賀、こっちの二つはイマイチでしたね。特に黒宮一太という人の論文は、初めに自分ができないといったことを結論部分でしようとしているという素晴らしいロジックで構成されており、結構笑えます。あと他の論文で言うなら増田聡の「データベース、パクリ、初音ミク」は門外漢ながら面白かったです。
最後に告白すると、この本は私にとっては結構重い「宿題」でありました。読み始めてから読み終えるまで3カ月弱かかっており、こういうモリシーポリシーを掲げて「この本をきっかけに読み始め、この本より先に読み終えた本」が三冊あるというのは、本の大きさというメディアの問題があるにせよ、いかに読むのに時間がかかったかということを如実に表しています。そして今も、レビューを書くことに踏ん切りがつかず、麻雀ゲームをやったり深夜にもずくに大量のポン酢をかけて食べたりと、いくつかの逃避行動を経て「やむなく」今に至っているわけです。もちろんもう読みたくないとか、レビューなんか書きたくないとかならそうしてしまえばいいですし、そこに踏み切る勇気はあるつもりでいるので須賀、やはりどれも噛み応えがあって昔読んだものはどんどん忘れていって(笑)、こんな体たらくなわけです。何の脈絡もないようで須賀、これが次読む本への「リンク」です。

*1:いま思いついたww

*2:「日本論」論

*3:KTD

*4:この時点でこれを東のように即「動物的」と呼ぶことには違和感がありま須賀

*5:日本だけの話ではないで生姜