かぶとむしアル中

取材現場を離れて久しい新聞社員のブログ。 本の感想や旅行記(北朝鮮・竹島上陸など。最初の記事から飛べます)。

北朝鮮竹島イラン旅行記
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私も大して知らなかったりしま須賀

起きたのが昼過ぎだったので情報文化論の補講は軽やかにブッチ。吉見さんごめんなさい。そんなわけで久しぶりに部屋の掃除をしていました。そしてバイト。
今日は意外と落ち着いた感じだったので楽だったんで須賀、一つ驚いたことを書きたいと思います。
今日は9時から「火垂るの墓」があったそうで、最後の方はそれを見た人の来店があったりしたんで須賀、その人たちの会話です。
見てた人(♂)「今日火垂るの墓があってさ、終戦60年なんでしょ?」
飲んでた人(♀)「え? 60年なの? いつで60年?」
見てた人(♂)「今日とかじゃん?」
通り須賀りの店員(♂)「(ry」
文字通り耳を疑いました。彼らはそれこそマスコミ的には「知らなさそう」な感じの風貌だったんで須賀、それがマスコミ的な脚色ではなく、あろうことか自分の目の前で起こってしまったことに驚きを隠せませんでした。まぁ日付とか何周年とかいった「区切りのいい」「人為的数字」にどのくらいの意味があるのか、という部分に関しては個人的に疑問だったりするんで須賀、彼らが先の大戦についてどのくらい知っているのか、ということに関するある程度の指標にはなるんだと思います。
この無知、今後世界の国々、特に東アジアの近隣諸国と付き合っていく上で知っておかねばならないことに関する無知は、必ずや今後の日本と諸外国との関係に影響を及ぼしていくでしょう。近年は国際化やグローバル化が叫ばれているだけではなく、現実問題として外国の人々と接する機会が増えてきているのですから。
そしてこれは戦争について知らなかった彼らの問題でもあるのでしょうが、その一方で日本の歴史教育のあり方にも問題がある、とも言わざるを得ないでしょう。中国の歴史教科書における第二次世界大戦の記述が膨大すぎる、といった批判はよく聞かれま須賀、逆に日本の歴史教科書における記述が短くて無機質だという批判があるのも事実です。私はこれが他の部分に比べて別段短いとも無機質だとも思いませんが、むしろ他よりも詳しく、そして有機的、多角的に論じるべきであるとは思っています。だって源平合戦よりは確実に今への直接的影響が大きく、そして重要でしょう。それだけ特別に長くあるというのもどうかとは思いま須賀。また、第二次世界大戦に関する記述は歴史教科書の最後に近い部分にあたるため、一年ないし二年の授業の中で消化しきれず省略されてしまう傾向、というのもあるそうです。
このようないくつかの要因があったりなかったりしての結果が、今日私の聞いた会話なのでしょう。であるとするならば、教科書なのかカリキュラムの消化の仕方なのか私にははっきりと言えませんが、この現状に対して何らかの改善策を施していく必要があるのではないでしょうか。このままでは、「日本は歴史を知らない」と他国に非難されてもある程度仕方がないような気もします。