かぶとむしアル中

取材現場を離れて久しい新聞社員のブログ。 本の感想や旅行記(北朝鮮・竹島上陸など。最初の記事から飛べます)。

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踏み留まる人として/『大久保利通』(瀧井一博)

【目次】

 

「知を結ぶ指導者」として

征韓論政変後の明治政府を指導した大久保利通を、「冷厳な専制政治家」というよりは副題にあるような「知を結ぶ指導者」として描いた重厚な伝記です。

幕末の時代に「非義の勅命は勅命にあらず」と言い放つほど、道理へのこだわりを持ち続けた大久保。産業振興と民力養成のため、出自に捉われない知のネットワークを築くことに身を砕いてきたものの、その一方で自分を見出してくれた旧主や竹馬の友ら*1を断ち切る役回りをも演じざるを得なかったことを論じています。

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著者は彼の後継者・伊藤博文をも「知の政治家」という切り口で語っており、「西洋の新しい知を受け止め、咀嚼して国力の源にしていかねばならなかった時代」という通底する問題意識があるのだろうと感じます。

踏みとどまる責任

私自身が感銘を受けたのは、胆力と漸進主義で政府に留まり続けた大久保の姿でした。同時代人にも識見では木戸孝允の方が優れていると見なされており、恐らく大久保自身もそれを認めていたからこそ、何度も(拗ねて)政府を離れようとする木戸を何度も説得し、木戸を押し立てる姿勢を貫いてきました。このように「卓抜した知恵者」とは見做されなくても(むしろそうだからこそ)、急進論には与せず、優れた人材を広く求めて繋ぎ、責任ある立場を担い続けた。その重みが、本書に描かれた彼の後ろ姿から滲み出るようでもあります。言うまでもなく、(木戸とは違って)当事者・責任者であり続けたからこそ、「断ち切る人」としての悪名も背負わねばならず、それが非業の死にも繋がっていくのです。

大久保暗殺の下手人は征韓論者の不平士族で、大久保は「士族の名誉と生計を奪った」張本人だとする斬奸状を新聞各社に送りつけていたそうです。ただ大久保も、時代の急変で困難に陥った人々のことを全く無視してはいませんでした。

「文明開化は不可避だが、急激な変化は人々の生活を苦境に落としかねない。今必要なのは、政府がその新旧の転換を促進し、斡旋することだ」。内務卿・大久保が三条実美に提出した建議書には、このようなことが書かれていたそうです。まさにこれは、

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に出てくる「技術的発明と社会的発明のタイムラグ」のような話です。その落差を背負った後半生と、その最期だったのかもしれません。

現代に続く大久保の系譜

蛇足ですが、大久保の次男は

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であり、そこから吉田茂、現代で言えば麻生太郎まで繋がる系譜があります。この二人はともかく、家庭人・大久保利通については、もっと言及があっても面白かったのかなという気がしました。