読書会の二冊目です。
恥ずかしながら出版流通の仕組みについてはほとんど知らなかったので、その中でいわゆる「ヘイト本」がなぜ書店の一角を占め続けるかも含めて勉強になりました。
その上で話題になったのは、ヘイト本の顧客像でした。日本の勢いが官民ともに下向き続けている今、かつて中韓への優越感の中で価値観を育んできた人たちがある種の「郷愁」を感じて、これらの本に手を伸ばしている。これは本書でも挙がっていた仮説だったように思います。
とするならば、"Japan as No.1"と謳われた時代に社会人になった世代がリタイアし、あるいは「役職定年」的な事情で経済的なゆとりを失った場合、彼らのうちの少なからずがヘイト的なものにはけ口を求めることはないのか。もっと言えば、経済規模と福祉がともに拡大する「黄金時代」を過ぎ、先進国で福祉国家からの撤退が言われるようになった1980年代から、すでにその傾向は始まっているのではないか。しかし「親世代より貧しい暮らしをせざるを得ない」ことがある程度、社会的な経験になった場合でも、その鬱屈した感情を特定の人(たち)にぶつけていいはずはもちろんないわけで、その時「成長を望めない時代」に生きる人々(恐らく我々も)は、何をもって充足すべきなのかーそんな話をしていました。
成長できない世界は戦争に帰結する、とも言われます。でもその発想や時間感覚こそが、近代ならではなのかもしれません。とはいえ、中世(あるいは封建)的な生活感覚をこれから再評価することが私達にできるでしょうか。この段落は個人的な呟きで、その場の議論にはなりませんでしたが、なんとなくその場の皆で合意できた(?)のは、自分好みの本屋を開いてなんとかやっていけるなら、それは楽しいかもねということでした。