かぶとむしアル中

取材現場を離れて久しい新聞社員のブログ。 本の感想や旅行記(北朝鮮・竹島上陸など。最初の記事から飛べます)。

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対米開戦にインパール作戦、歴史の教訓に見る「囚人のジレンマ」/『昭和史講義3』、『昭和史講義 軍人編』、『東條英機』(一ノ瀬俊也)

【目次】

 

大人買いした歴史講義シリーズの最後に、昭和戦前史における政軍のリーダーたちを紹介する3冊を紐解いてみました。

田中義一レーニンと会っていた?

加藤高明以降の首相や重要閣僚・政治家を扱っています。

各人物ごとにポイントを絞って論じられていま須賀、▽ロマノフ朝ロシア駐在武官時代に「ギイチノブスキー」と名乗った名刺を持ち歩き、レーニン接触したとの説まである田中義一のエピソード▽自身の政治的利益のためにその政治的声望をしたたかに利用した(しかし結局、同様にしたたかな陸軍に背かれた)宇垣一成英米協調派とみなされた(ている)幣原喜重郎が展開した自主的外交▽その幣原を外相に、井上準之助を蔵相に招いた浜口雄幸内閣は政策を強力に進めた一方、これら主要閣僚が「外様」だったことが、議会中心主義を掲げる与党民政党内に亀裂を生んだーあたりが興味深かったです。

皇道派対策だった軍部大臣現役武官制

昭和史講義【軍人篇】 (ちくま新書)

昭和史講義【軍人篇】 (ちくま新書)

  • 発売日: 2018/07/06
  • メディア: 新書
 

こちらは陸海軍のキーパーソンたちです。最後の参謀総長梅津美治郎、「背広を着た軍人」鈴木貞一、満州事変でおなじみ石原莞爾、今なお人気の高い山本五十六日本海軍で唯一海相軍令部総長連合艦隊長官を務めた永野修身などを紹介しています。

個人的にはこれまで元老や宮中、政党の方に関心があったので、本書で初めて学ぶことが多かったです。特に、長州閥→宇垣閥と薩摩閥→九州閥+一夕会(永田鉄山ら)の対立から、よく知られる皇道派対統制派の血みどろの争いに転じ、東條派が石原派を駆逐していくーといった陸軍内の派閥抗争の歴史もまとめてフォローしており、理解しやすかったです(海軍については堀悌吉の章でまとめられています)。広田弘毅内閣での軍部大臣現役武官制の復活にも、二・二六事件後に予備役に編入された皇道派長老の復活を阻止する意味があったといい、その時々の権力構造と制度との関係の深さを感じさせる例と言えますね。

「カミソリ東條」の凡庸さ

東條英機 「独裁者」を演じた男 (文春新書)

東條英機 「独裁者」を演じた男 (文春新書)

 

先述の二冊両方で論じられた東條英機の評伝です。航空機を用いた総力戦を展開するため、水戸黄門的な視察も交えながら「総力戦の総帥」として自己演出していった様が描かれています。

ただ、それは第一次大戦後の陸軍の方針と合致するものであり、陸軍の利益をストレートに追求・主張してきた姿勢といい、政治指導者としての東條の凡庸さが浮かび上がる一冊だったと思います。

東條に一蹴された佐藤賢了の提案

これらの議論のまとめにはなりませんが、個人的に一番印象的だったのは、組織内意思決定における囚人のジレンマ現象でした。

対米開戦直前の近衛内閣では、実は陸海軍それぞれがアメリカとは戦争できないと感じつつ、これまでに出来ると言った手前本音を言えないーという局面が現れます。東條ら陸軍首脳は、「開戦」はリスクが高いことを知りつつ、「陸軍がビビって開戦取りやめを言い出した」と見做されるのを恐れたのです。それを察知した東條の腹心・佐藤賢了は、「陸海軍の首脳が一杯盃を持ちながら、本音で話してみては」と勧めたそうで須賀、その点生真面目な東條に「国家の大事を酒を飲みながら決めろというのか!」と叱られた、との逸話が残っています。

この状況は、陸海軍が囚人のジレンマに陥っていると見ることができるでしょう。そして、ゲーム理論的に双方の利益を最大化する(両方とも「対米開戦はできない」と言う)ためのヒントは、案外、佐藤賢了の思いつきにあったかもしれません(まぁ、その案を一蹴した東條は酒席でも頑なに陸軍の立場を主張しそうな気がしま須賀…)。

「阿吽の呼吸」が機能しなかったインパール作戦

もう一つ、悲惨な例としてはインパール作戦中止を巡るやり取りもありました。

軍司令官の牟田口廉也を上司にあたる河辺正三方面軍司令官が訪ねた際、作戦失敗は明らかになりつつあるにもかかわらず、河辺は牟田口から言い出すのを待って何も言わず、牟田口は「自分の表情を見て分かってほしかった」と中止に触れなかったため、日本軍の損害は更に拡大したとされています。有名な、そして馬鹿げた話ではありま須賀、組織内対立や自己保身ゆえのコミュニケーション不足は、大きな意思決定の誤りと損失を生み得るのです。

2021年の日本にも、しばしばこのインパール作戦に擬せられる催しが予定されていますが、80年前の歴史の教訓はどのように生かされるでしょうか。