かぶとむしアル中

取材現場を離れて久しい新聞社員のブログ。 本の感想や旅行記(北朝鮮・竹島上陸など。最初の記事から飛べます)。

北朝鮮竹島イラン旅行記
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大晦日に祖母が他界し、コロナ禍で九州の田舎へ帰った話

【目次】

 

2020年の大晦日に、祖母が89歳で他界しました。

身近な人が亡くなるのは、それだけでもとてもとてもつらいことで、いつの世においても強い印象や感慨を与えるもので須賀、現在のコロナ禍では、その経験はさらに特別なものとなった気がします。改めての追悼の意味を込めて、少しだけ振り返ってみます。

一度は死を覚悟した家族

祖母は19年秋から体調を崩し、近くの病院に入院していました。10年に夫を亡くしてから一人暮らしをしており、彼女の異変に気付くことができませんでした。

canarykanariiya.hatenadiary.jp

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私は19年11月と20年1月に帰省しました。2度目は「かなり危険な状態」と聞いて駆けつけ、祖母宅で最低限の仕事をしながら1週間ほど見舞いました。その時点で意識ははっきりしていなかったので、引き上げる時にはその時なりに、「祖母との最後の時間をじっくり過ごすことができた」というある種の割り切りをもって、飛行機に乗り込みました。そう言えば、香港からのクルーズ船が同県内に立ち寄った、なんてニュースもちらっと流れていた気がします。

「生きたい」と言った祖母

そこから、よく頑張ったと思います。身内の医療関係者が現地滞在中に病院と話し合い、祖母の体調変化や治療方針についてコミュニケーションが取れるようになったこともあり、祖母は多少の会話ができる程度にまで回復したそうです。

「生きたい」。ある時祖母はそう言ったと聞いています。「3月の誕生日を迎えられるだろうか?」との心配は杞憂となり、ひとまず安心することができました。

息子たちに看取られての最期

容体が好ましくなく、それに伴う処置を行うことも12月下旬に聞いていました。いよいよ危篤であるとの連絡を受け、30日に父(祖母の次男)が飛んで帰りました。

ただ、当時すでに新型コロナウイルス感染の第3波の真っ只中でした。大都市圏から、市内の累計感染者数が20人ほどという片田舎の病院に直接駆け付けることは好ましくありません。病院側で協議の上、院外でのPCR検査陰性と防護服の着用を条件に、病室に入ることを許されたそうです。

亡くなったのは31日午前4時でした。伯父と父に片手ずつ握られたまま、旅立ったそうです。

PCR検査、6時間で出た「陰性」

私が訃報に接したのは6時ごろだったと思います。私は父よりも感染リスクが高いと見なされている地域で生活していますので、午前中のうちに自費でPCR検査を受けました。そこで陽性なら万事休す、となってしまいま須賀、故人を弔うためとはいえ、無自覚で感染を広げて今生きている(高齢の)人たちの命を危険に晒すわけにはいきません。

翌日までには、と言われていた結果は約6時間で出まして、陰性でしたので*1、元日の便で帰りました。6月に生まれた長女も連れて帰ってあげたいところでしたが、ここはなるべく少人数でということで、妻子にはお留守番をお願いしました。

傍にいることの意味

通夜・告別式から四十九日の納骨*2まで、見届けてきました。伯父・父と3人で市役所にも出向き、取り急ぎとるべき手続きは済ませてきました。実母を見送った父のショックは特に大きかったようで、具体的に何をしてあげられたわけでもありませんけれども、ただ傍にいるという意味において、お互いに支え合えたとは思っています。

あと、こうした場に飲食はつきもので須賀、少なくとも他県勢は酒はやめようと申し合わせ、「マスク会食」で弁当をつつきました。祖父の時、夜通し焼酎を飲みながら涙していたのとは様変わりです。肩を叩いて励ましてくれる親戚もいましたが、その気持ちに充分に応じることができないのは、本当にもどかしいことでした。

「緊急事態」に急かされて

遺品の整理をはじめ、まだまだすべきことはたくさんありました。業務の調整がつくギリギリまで、滞在することも検討していました。ただ、年明け早々に緊急事態宣言が発令される流れとなったため、不測の事態を避けるために余裕を持って飛行機の便を確保しました。いろんな制約はありながらも、最後まで祖母を見送ることができた。そう思うことにしています。

 

帰宅すると、遂にひいおばあちゃんには会えず仕舞いだった生後6ヶ月の娘が私を見つけて微笑み、拙いハイハイで近寄ってきてくれました。そんなことがいつの間にできるようになったのかと驚くとともに、こういう家族とのひとコマひとコマを大事にしたいなと感じました。

*1:もちろん100%感染していないと言えないことは理解しています。そもそも飛行機が着陸するまでのどこかで感染する可能性も十分ありますので

*2:事情を鑑みて告別式の日にやってもらいました