かぶとむしアル中

取材現場を離れて久しい新聞社員のブログ。 本の感想や旅行記(北朝鮮・竹島上陸など。最初の記事から飛べます)。

北朝鮮竹島イラン旅行記
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「麒麟がくる」三十六話/風間俊介の「弁当の味噌」は放送NG?

【目次】

 

www.nhk.or.jp

十兵衛の消極的選択

明智光秀が、将軍・足利義昭の前で嗚咽を漏らしながら訣別を告げるシーンが印象的でしたね。

駒と貧民のための施設を作るために集めた金で鉄砲を買おうとしたり、急に剣術に没頭し始めたりと、義昭の変質が強調され、さらに妻子を実質的な人質として京に留め置かれていることが、十兵衛の判断に影響を与えているようにも見えます。ただ、鳥を届けろと信長に命じられた時の表情からも分かるように、十兵衛は信長に対しても違和感を覚えつつあるように見えます。双方の連携維持を望みつつも、最終的にはやや消極的に信長を選んだ、という描き方に見えました。

大敗の三方ケ原に参戦していた佐久間信盛

信長と光秀が鳥をどうのと話している間に、遠江では大変なことが起こっていました。徳川家康が三方ケ原で、西上する武田信玄に大敗を喫したのです。家康をスルーするかのような武田軍の動きに対応しようと浜松城から討って出たところ、しっかり待ち構えられていてボコボコにされてしまったという、当時の家康の若さと信玄の老獪さが好対照をなした合戦でした。

ドラマにもあった通り、信長は家康に援軍を送っていました。今回の放送で十兵衛と話し込んでいた佐久間信盛です。ただ、本格的に家康を助けるまでもなく浜名湖あたりまで逃げ帰ったそうで*1、この際、信長を諌めて死んだ平手政秀の子か孫とされる汎秀が討ち取られています。ちなみにこの時点までは、信玄と信長は形式的には友好関係にあり、信玄がこの汎秀の首を信長に送りつけたことで名実ともに敵対関係に入った、ともされます。

風間俊介の「弁当の味噌」は放送NG?

しかし、佐久間信盛どころでない逃げ方をせざるを得なかったのは総大将の家康でした。有名な話で須賀、敗走中に恐怖のあまり脱糞してしまい、家臣に「これは弁当の味噌だ」と弁解したという話が残っています。また、今後の戒めにするため、逃げ帰った直後の自分の様子を絵に描かせたとの逸話もあります。

流石に、風間俊介が逃げながらお漏らしをするシーンは放送できなかったでしょうが、次回、蘭奢待を切り取るところからしても、信玄の出番はあまりなさそうですね。そう思って、今回は信玄ネタでお話させていただきました。

*1:これは後年、信盛が信長から「リストラ」された際の原因の一つに挙げられます