【目次】
米国で大反響の理由
日本統治時代に釜山近郊の影島に生まれ、訳あって身重のまま大阪へ移り住んだ女性と、その家族たちを巡る物語です。米国で大きな反響を呼んだ小説です。
彼女とその一家は様々な苦難や葛藤を抱え、蜘蛛の糸を辿るような僅かな僥倖と、いくつかの悲しい別れを乗り越えながら、昭和の日本社会を生き抜いていきます。ストーリーとして、「フィクサー」的立ち位置の登場人物がやや目立ちすぎている印象はあるものの、展開に惹きつけられて読み続けることができました。
80年にも及ぶ時間軸の中で、やはり彼らが日本社会で不当に差別されてきた様を基調に描いていくので須賀、最後近くに出てくる「人が何者であるかを決めるのは血だけではない」という一節こそが、一家の苦しみの根本にあり、かつ、その地で生きていく力の源泉でもある、ということなのでしょう。そのメッセージは、「女性の地位や生き方」という問題意識も含めて、移民社会である米国ではより響くものなのだろうと想像しました。
在日コリアンの歴史を網羅
よく構成されているなと思ったのは、フィクションでありながら、植民地時代のコリアン、特にその経過で日本に渡った人々を巡る問題が随所に散りばめられている点です。
既出の差別や生活苦以外でも、官憲による拷問、長崎での被爆、日本企業による賃金未払い、甘言に乗せられて慰安婦にされたのだろう女性、「天皇の臣民」から掌を返したような戦後の外国人扱い、書名にもつながる就職差別、いわゆる指紋押捺、そして北朝鮮への帰国事業…などなど。濃淡はありま須賀、こうしたテーマに網羅的に言及しており、これは著者の意図したところであるのでしょう。米国をはじめとする各地の読者にとって、在日コリアンたちの歴史を知るきっかけになるのだろうと思います。
たまたま訪ねていた「舞台」の100年後
一昨年、主人公の出生地とされた影島を訪ねたことがありました。
canarykanariiya.hatenadiary.jp
フェリーで南側にも回りましたが、お母さんがその辺の生まれということになっていましたね。
少女時代に重要な出会いのあった釜山の市場も、今ではこんな様子です。
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100年前の風景がどんなだったか、想像しながら読むのもとても楽しかったです。