かぶとむしアル中

取材現場を離れて久しい新聞社員のブログ。 本の感想や旅行記(北朝鮮・竹島上陸など。最初の記事から飛べます)。

北朝鮮竹島イラン旅行記
ブログランキング・にほんブログ村へ

「麒麟がくる」二十八話/『信長公記』と逆印象の二条城普請

 【目次】

 

 

www.nhk.or.jp

幕臣明智光秀の風格が滲み出ていた今回。とても見どころが多く、どこに焦点を当てるべきか迷いま須賀、本圀寺での戦い以降の話をしてみましょう。

本圀寺の変は斎藤龍興のリベンジ

本圀寺での戦い、信長の救援、そして「二条城」(現存のものとは異なります)の普請という流れは『信長公記』の記述とも一致しています。防戦に尽くした人物として明智光秀の名も記されていました。光秀も本格的な表舞台に出た感がありますね。

一方、ドラマに出てこなかったのは、三好方の先鋒を亡き斎藤義龍の息子である斎藤龍興が務めていたということです。美濃を奪われた復讐心に燃える龍興を対信長の先鋒に立たせるというのは、当時としてはよくある手法ではあるでしょう。

信長公記』と印象の異なる「二条城」普請

加えてドラマでは、義昭の御所たる「二条城」普請での、石仏を巡るやり取りが印象的でした。仏を恐れぬ信長の態度は、後の延暦寺焼き討ちや本願寺との長い戦いを想起させましたし、光秀のドン引きも今後に響きそうな予感がしま須賀、『公記』にある御所整備の記述は様相が異なります。各地の邸宅や寺院の庭にある名石などを取り寄せて配置し、眺望にはかなり配慮していた…とされています。そうであれば尚更、結末に向けて、あのように信長と光秀を描いたシナリオの意図には注目でいいのかもしれません。

怪しさ満点の片岡鶴太郎

あとは怪しさ満点の摂津晴門ですね。三好家に近かったのはそのようで須賀、あれほどまでのアンチ信長として立ち回ったのか。彼については次回、話すのが良いかもしれません。

ちなみに松永久秀から信長に贈られた九十九髪茄子、あれは結構有名な茶器でして(信長の野望とかにも出てきますね)、本能寺の変後は秀吉の所有物となり、明治に三菱財閥の岩崎家の手に渡って現存しています。ちょっと見てみたくなりました。