日中戦争から敗戦に至るまでの大本営発表について、時期ごとの変容、発出の仕組み、そこに潜む構造的問題などをバランスよく論じた好著です。
日中戦争から太平洋戦争の緒戦までは、日本軍の優勢を背景に比較的正確な発表が行われ、他国の「宣伝」と比べても世論の信用を得ていました。しかし、ミッドウェー海戦を境に、日本軍は誤認した戦果をそのまま発表しながら受けた損害を誤魔化し、「転進」「玉砕」といった美辞麗句で劣勢を糊塗するようになります。そしてついには、架空の戦果の非常識な積み増しや、本土空襲という動かしがたい事実によって言い繕うことすら出来なくなり、特攻隊らの「美談」発表に終始することに。長崎への原爆投下をも「黙殺」した頃には、大本営発表への信頼はとうに地に堕ちていたのでした。
こうした変遷を概観した上で、著者は「大本営発表の破綻」の原因を四つ指摘します。
- 組織間の不和対立
よく知られる陸軍vs海軍のみならず、軍令vs軍政、作戦部vs情報部*1vs報道部*2など多重の対立構造があり、発表内容への介入も度々なされた。
- 情報の軽視
特に熟練のパイロットが減ってからは戦果の誤認が増え、組織間対立も相まって曖昧で希望的観測に基づく内容がごり押された。この2点の深い連関性は、下の本でも論じられていますね。
canarykanariiya.hatenadiary.jp
- 軍部と報道機関の一体化
満州事変以降、飴*3と鞭*4の使い分けで報道機関が大本営報道部の「下請け」化した。
canarykanariiya.hatenadiary.jp
- 戦局の悪化*5
戦局悪化がこれらの弊害を露呈し、傷口を広げた。
このように時期と要因に分け、しっかりと「大本営発表」を論じる一冊です。
その中で、特に印象に残っていることが二つあります。一つは、大本営発表の「読む」から「聞く」への変化です。ラジオの契約件数は1941年に約662万に達し、発表文も黙読ではなく朗読される前提で執筆されることになりました。海軍側は、能弁で知られた平出英夫報道課長が朗々と語って人気を博します。それに対抗して陸軍側が繰り出したのが、修飾語の乱用だったのだそうです。
「近代的装備をほどこせる半永久基地たるその本防御線を突破」「断乎鉄槌的打撃を加ふるに決したるものなり」「わが昼夜を分たざる猛攻撃」ー。
恐らくこれは、現在に至る北朝鮮当局の発表形式に影響を与えているのではないか思われます。北朝鮮でも、朝鮮中央テレビでの報道が主眼になっているのだとすると、両者に共通性があるのも頷けます。「無慈悲チャーハン」の源流は、こんなところにあったのかもしれません。
もう一つは、「過大な戦果」については事実誤認と組織内対立という、どの時代のどの組織にもあり得る問題が深く絡んでいる点です。著者が言うように、信用できない情報の代名詞とされる大本営発表も、最初からでたらめだったわけではありませんし、特定の黒幕が意図的・計画的にでたらめを発信させたわけでも必ずしもありません。著者が着目する「当局と報道機関の癒着」も、現代性を帯びたテーマです*6。
遠い昔のひどい茶番劇ではなく、今、どの組織にも起こり得る事象であるー。コロナウイルスの感染者情報についても、世界的に発表と現実のギャップが問題になっているケースが少なからずあります。日本もその有力な事例であるわけで須賀、約80年前の日本がやった大失敗を、我がこととして捉え直してみる価値は失われていないように思えます。