斎藤道三が息子・義龍に敗死し、「蝮がくる」が完結しました。
基本的に道三は義龍を評価しなかったとされていま須賀、この長良川での義龍の見事な布陣を見て、愚鈍と思ってきた息子を再評価したとの逸話もあります。
ストーリーとしては、道三が義龍との親子関係に最後までこだわったのは、義龍に「父殺し」の汚名を着せるため、という説明が前面に出ていましたが、私はここに道三の父としての、そして成り上がり者としての思いを見たいと思います。
義龍が道三との親子関係を否認するのは、「美濃の蝮」と呼ばれながらも一国の主に成り上がった道三の生きざまを否定することです(源氏の名門である土岐頼芸の息子と称したことも象徴的です)。確かに、最後の最後に義龍を罠にかけたわけで須賀、跡を譲った息子に人生を否定されてしまった、その悲しみを抱えながらの死だったのだろうと思わされる展開でした。
その後、義龍は道三方についた明智家を攻撃します。明智光安はこれまでひょうきんな演技が目立っていましたが、今回は見せ場になりましたね。ただ、手負いの身で「落城を見届けて後を追う」というのは完全に死亡フラグでしたし、光秀もそれを悟った風に見えました。
次からは越前編です。これまで(ドラマの筋書きとしては)培ってきた将軍家との関係も含め、どのように展開していくのか、期待です。