かぶとむしアル中

取材現場を離れて久しい新聞社員のブログ。 本の感想や旅行記(北朝鮮・竹島上陸など。最初の記事から飛べます)。

北朝鮮竹島イラン旅行記
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『日本政治とメディア』(逢坂巌)

 

テレビを中心としたマスメディアと日本政治の展開を、(第二次安倍政権誕生くらいまで)通史的に追う本です。各時期におけるそれぞれの状況や、両者の接点にあるような事象について紹介しており、整理して学ぶことができます。

本当に一言で言ってしまうと、

全体として都市化→無党派層の増加が進む中で、彼らへのコミュニケーション回路として各政権(特に永田町での基盤が弱い政権)はマスメディアに硬軟両様で関与しようとしたが、その巧拙はまちまちだった。テレビが政治を消費するようになるにつれて、政治報道と世論の動向がスパイラル的に増幅するようになり、その餌食となる政権も増えていった…

と論じられています。

世論と報道がスパイラルを起こすという点については、内閣支持率4%なんてこともあった森喜朗政権がその典型であるように、少なくとも民主党政権までの十数年間にについてはかなり妥当していると思えます。「読まれる」「読まれない」を重視するネットニュースにおいても、この傾向は同じか、むしろ強化されていると感じています。テレビ時代には、その渦は首相と番記者をはじめとする記者らの関係性から生まれるケースが多かったようで須賀、ネット時代の「バズ」の発信源はより分散化されています。いつ、どこから、どちら向きの渦が起こり始めるのかー政治の側から見ると、対応はより難しくなってきていると言えるでしょう。

またこの本によれば、特にテレビは受け手に非常に強力な「効果」を与えるツールとして政治の側に認識されてきたことが窺えます。ただ、いわゆるメディア論においてそのように捉えられていたのはテレビが登場した初期が中心で、そこからその効果を限定的に解釈する様々な研究成果が現れます。

canarykanariiya.hatenadiary.jp

その中には、先ほど挙げたような「声の大きい者の声がますます大きくなってくる」ことについての議論もありますし、「テレビの影響は直接ではなく、それを解釈する身近なオピニオンリーダー的な存在を介して伝えられる」との見解もあります。マスメディアからの情報の受容は、最初に考えられたよりもっともっと多様だというのです。

そこから考えると、著者が強く意識している通り、政党という存在も政治過程における重要なコミュニケーション回路であり、メディアに他なりません。本書でもメディアとしての政党(自民党)の構造や方向性について紙幅が割かれていま須賀、メジャーな政治過程論のちょっと傍からこのテーマについて論じるなら、こうしたメディア論の知見と結びつけてみてもよかったような気がしました。

 

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