ツイートを巡って国会の裁判官訴追委員会から事情聴取をされたことでも知られる「白ブリーフ判事」が、民事を中心とした裁判官養成の(環境面を含めた)仕組みから、その「劣化」を論じた本です。ツイートを巡る問題には全く触れず、彼の代名詞(?)とも言える白ブリーフにもほとんど触れず、すっきりした制度論として展開されています。
著者によると、「25年前の裁判所では、難解な「高校物理」を2年間かけて完全にマスター*1した上、プロとしての実力が問われる場面で必ず正解を導くことができるツール*2を手に入れた裁判官が、人間ルールブックから四六時中指導を受けた上…飲みニケーションにより裁判官同士がつながる機会も多かったことから、問題意識の高い者が集まって研究会を立ち上げたり」していたそうで須賀、現在は「仕事の内容がマニュアル化されておらず、仕事の正解にたどり着くためのオールマイティツールも与えられておらず、「高校物理」も教えてもらっておらず、従来のような「智」の口頭伝承も十分にされていないのに、外部経験から裁判所に戻ると、いきなり一人で仕事をしろと言われ、しかも、仕事上の間違いは絶対に許されない」といいます。
こうした現状を克服すべく、合議の充実によって裁判長が若手の育成を担う方向性が目指されていることなどを紹介しつつ、とりあえずは法曹全体で若手裁判官を育てていくメンタリティを持つことなどを提言しています。
著者も否定していませんが、「飲みニケーション」や「仕事・職場中心の生活」が主要なあり方であった時代は過ぎ去りつつあり、それは一概に悪いこととは言えないでしょう。ただ、そのことによって仕事における「智」の伝承がされにくくなっているというのは、(私のいるマスコミも含めて)どの業界にも言えることなのだと思います。その中でも、よりうまくいっている業界・会社とそうでないものがあるとするなら、それはどこに違いがあるのか。自分の経験や在籍する職場を思い浮かべながら、考えさせられることはありました。
あと一点は、法曹育成論についてです。少数者保護などの「司法の本質論・役割論」をちゃんと理解してもらうために、それを司法試験の出題科目にすべきだ、という提案がなされていましたが、なんだかそれもなあ、という気がしてしまいました。著者も言うように、そんなことを言っていられる状況ではないのかもしれませんが、そもそも裁判官を目指し、簡単でない試験の合格を志す時点でそういう意識は持っている(べき)人たちなのでは、と思ったので須賀…
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