かぶとむしアル中

取材現場を離れて久しい新聞社員のブログ。 本の感想や旅行記(北朝鮮・竹島上陸など。最初の記事から飛べます)。

北朝鮮竹島イラン旅行記
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あれ?もう西南戦争?/「西郷どん」第二十二話

第二十二回「偉大な兄 地ごろな弟」|NHK大河ドラマ『西郷どん』
薩摩に戻った西郷吉之助は、島津久光の進める出兵計画に反対しながらも、その命で下関にて久光らを待つことになりました。しかし、有馬新七ら過激派の動向を案じ、勝手に京都へ。新七や同調していた弟の信吾(後の西郷従道)らを抑えます。
桜田門外の変において、実質的な幕府の最高権力者が暴力によって倒されたことで、実力行使に歯止めが効かない幕末の動乱期に入ったと言ってよいでしょう(そもそも一外様藩が勝手に兵を京に送るなどということすら、幕藩体制の下では考えられないことです)。その中でやっと長州藩士(久坂玄瑞)も登場し、徐々に役者も揃いつつある放送回でしたが、全体的にセリフが軽かったですね。顕著なのは寺田屋での吉之助と新七の談判で須賀、いきなり「おいの命をおはんらに預けに来た」だなんて15年早いセリフですし、「おいの屍を越えていけ」なんてゲームのタイトルかよとw
西郷隆盛の人生の中には、いくつか名ゼリフ的に伝えられているものがありま須賀、それを先食いするのは宜しくないと思います。これは極端な例だったかもしれませんが、全体的にセリフが上滑りなのは、当時の時代背景、特に攘夷思想についてちゃんと作中で説明していないからだと思います。それを言うのも初めてではありませんが、ここは脚本の責任でしょう。激動の動乱期なのに、手に汗握る感はゼロでした。
脚本に期待できないのはもう分かっていることなので、最後に別の話を。放送の最後の方に、吉之助が信吾に対して「自分の名前が独り歩きしている」と戸惑いを語るシーンがありました。これがどの時期から起こった現象なのかはちょっと分かりませんが、彼の人生を通じて増幅していった部分ではあるようです。そこがまさに司馬遼太郎の『翔ぶが如く』の主題の一つでもありましたし、司馬流に言えば、後にそれが彼を死に追いやったということでもあるのでしょう。そのことをふと、想起させられる一幕ではありました。