岩倉具視や大久保利通、木戸孝允らが欧米に派遣されたことで、留守政府の実質的な首班となった西郷隆盛。陸軍内での汚職や藩閥内での対立に悩まされながらも、天皇行幸を実現させました。
今更になってしまいましたが、興味深いエピソードが散りばめられた回だったと思います。山県有朋の山城屋事件はあまり知られていませんが、そこで西郷が山県を救った(なんとか場をとりなし、厳罰をしなかった)ことは山県にとっては大きなことでした。ふてくされた表情で場を去るシーンが印象的でしたが、どちらかというと西郷に恩義を感じていたという方が近いようです。
行幸*1をはじめとする西郷と明治天皇の接点というのも興味深いテーマです。ご存じのように、西郷は最終的には明治政府軍と戦って死ぬわけで須賀、明治天皇自身は西郷隆盛という人物のことがお気に入りだったようで、後年、明治天皇が西郷とのエピソードを語ったりもしていたそうです。相撲のシーンは、そんな空気感を表現していますかね。
また、宮中に村田新八や山岡鉄舟らを配するというのは、若き天皇に士族の剛毅な精神に触れてもらいたいという意向ゆえのことで、ドラマでは村田本人は嫌がっていましたが、西郷の腹心であればこそその任に当たったと言えるでしょう。その後も「天皇の間近にどんな人物を配するか」は、国政全体のあり方の路線対立*2も交えたデリケートな問題であり続けます。
やはり一つ違和感があったのは、西郷と島津久光のやりとりですかね。ドラマとしていい話にはなっていま須賀、現実の温度感はもっともっと冷たいものだったようです。2人の微妙な関係性は最後まで響いてくるはずなので、その辺をどう着陸させるのか、ますます気になるところではあります。