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取材現場を離れて久しい新聞社員のブログ。 本の感想や旅行記(北朝鮮・竹島上陸など。最初の記事から飛べます)。

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「トランプの指南役」の外交思想/『外交』(ヘンリー・キッシンジャー)

外交〈上〉

外交〈上〉

外交〈下〉

外交〈下〉

ニクソン政権による米中和解の立役者ともされる著者が、17世紀の30年戦争から冷戦終結後までの国際政治の展開を、米国の外交政策を軸に論じた本です。上下巻で1000ページを超える大著であり、大まかにであってもあらすじをここで説明することは避けたいところで須賀、極めて乱暴に言えば、リシュリューや小ピット、ビスマルクスターリンらが体現し、米大統領で言えばセオドア・ルーズベルトニクソンが重視したバランスオブパワーの概念の展開を追いながら、「理想主義の米国にあっても、それを実現する前提条件としてバランスオブパワーの理解は欠かせない」と論じています。一般論としてはその通りでしょう。
では、それをベトナム戦争に即して言うならどうなるでしょうか。著者は、当時の米国が問題に直面した際、ある対応をとることが道徳的に正しいかだけを考え、それをやり遂げる能力があるのか、そもそも、やり遂げるべき具体的目標は何なのかについて考慮していなかったことが悲惨な結末を招いた、としています。その結果、当時恐れられていた「共産化のドミノ倒し」が起きた国*1もあったものの、「倒れた最大のドミノは米国内の分断が激化したことだった」。要するにこれは、カンボジアラオス地政学的重要性*2より、米国内が一定程度以上結束して外交政策を構築する環境を失ったことの方が重大であるという著者の判断なので須賀、ベトナム戦争によって米国のバランスオブパワー上の威信が失われたことに触れはしても、自由と人権を掲げる理想主義の国がベトナムで引き起こした人道上の破局については良くてもおざなり程度というのは一体どういうことなのか、私にはよくわかりませんでした。冷徹なパワーポリティクスの分析には度々唸らされましたが、ジョセフ・ナイ流に言えば米国史上最もそのソフトパワーを失った事件の一つだったわけで、それこそ「道徳的」非難はともかく、外交史の叙述としてやや深みを欠いた印象を受けたのもそのためだったかもしれません。
ケチをつけてはしまいましたが、先述したように国民国家誕生以降の国際関係について極めて論理的な説明がなされていて、とても興味深かったです。各国の戦略がぷよぷよの連鎖のように繋がっていって、奇妙なタイミングに突如として第一次世界大戦に至ったあたりの話も明晰でしたね。ただ、これも重複しますけれども、ベトナム戦争のみならず、著者自身が関わった時期の話だけがどうも面白みに欠ける気がしました。プレイヤーであった以上、自分から述べてはいけないことの多さに足を取られてしまったのでしょうか。
 
ちなみに著者は、最近また俄に注目を集めているようです。
「外交指南役」はキッシンジャー氏:トランプ氏の「親ロシア」への転換を実現へ--春名幹男
例えばこの記事のように、「著者がトランプ大統領の外交指南役を買って出たのではないか」という趣旨の観測が出ているのです。実際に著者がどのくらい「やる気」なのか、そしてまたトランプ大統領の側がどのくらいそれを真に受けるのかについては判断の材料がありませんが、この本の内容の延長線上で考えれば、記事が指摘するように、伸長著しい中国とバランスするためにロシアと何らかの手を打つという、まさに40年以上前に自分がやったことと真逆の外交政策を提言する可能性は確かにありそうです。また恐らくそれは、ギリギリまで局外中立(栄光ある孤立)を保つイギリス流よりは、各アクターへの関与を通じて環境をコントロールしていくことを目指すビスマルク流であるでしょう*3
そしてもし、著者がその時々の外交戦略だけでなく、アメリカ外交のあるべき姿についてまで論を進めるなら、こう言うのではないのでしょうか。「アメリカは理想主義の国だ。ベトナム戦争のように目標や自らの能力をわきまえず、理想だけを追いかけて手を伸ばし過ぎるのはもちろん良くない。しかし、『米国第一』を盾に孤立主義の殻に引きこもることも、最早できない。あなたのちょうど100年前のウィルソン大統領の時代から、アメリカ国民はそう信じ続けて来たのですよ」

*1:カンボジアラオス

*2:著者は、マレーシアとタイの手前が効果的&効率的なラインだったと考えています

*3:冷戦後の世界が19世紀欧州を地球大に複雑化したものになるだろう、ということも述べられています