現場を離れて久しい新聞記者のブログ。 読んだ本の紹介や旅行記(北朝鮮竹島イランなど)が中心です。 

『多数決を疑う』(坂井豊貴)

政治の世界から学級会まで、当然のように行われている多数決。しかしその多数決が「多数の人々の意思を一つに集約する仕組み」である集約ルールの一つに過ぎないことを明らかにしつつ、それを含んださまざまな集約ルールの特徴や問題点などについて論じているのがこの本です。
著者は冒頭に挙げたような「多数決主義」を文化的奇習とまで言ってのけているので須賀、その最大の眼目はやはり票の割れに弱いことでしょう。その絶好の例が、2000年のアメリカ大統領選です。共和党ブッシュ対民主党ゴアの構図ではゴア優勢と見られていたにもかかわらず、「第三の候補」ネーダーがゴアの票を喰ってしまったため、ブッシュが漁夫の利で勝利を収めた。その後ブッシュ大統領は(ry という有名なお話で須賀、ネーダー支持者の圧倒的多数がネーダー>ゴア>ブッシュという選好で、全体としてブッシュとゴアのペア(2択)ではゴア>ブッシュだったろう*1ということが全く反映されない集約ルールは果たして優れていると言えるのでしょうか。
この例においてブッシュとネーダーのペアがどうかはともかく、こうしたペア同士の比較で最弱となる候補(ペア敗者)が1位にはならない集約ルールとして考案されたのがボルダルール*2であり*3、さらに進めて「ペア同士の比較で最強の候補が1位となるべし」というコンドルセの主張は、コンドルセ・ヤングの最尤法に結実します。この本では、そういったさまざまな集約ルールとその特質が紹介されていくので須賀、全体の順位を得点方式で重視しつつ、ペアでの勝敗もかなりの程度反映できる方式であるとして、著者は特にボルダルールの利点を強調しています。
個人的に興味をそそられたのはコンドルセによる陪審定理の議論でした。陪審定理とは、陪審員が正しい判断をする確率がコイントスより優れていれば(50%を少しでも上回れば)、人数が増えるにつれその多数決の結果が正しい確率は100%に近づく―というもので、場合分けをして掛け算と足し算をすればそうなるので須賀、著者も示唆するように、その議論はルソーの一般意志とつながります。コンドルセ曰く、これが成り立つ条件は、陪審員が情報を適切に与えられていることと、それぞれが人に流されずに自分の頭で判断することなので須賀、特に後半は『一般意志2.0』(東浩紀)に出ていた話とリンクしますね。さらにこれは、ルソーが言うような直接民主制を採用した場合*4、ある法案が一般意志に適うものであるか*5の判断は絶対に間違えない*6、ということを数学的に裏打ちするものとも見做し得るわけです。まあこれは偶然や奇跡ではなく、コンドルセが当時禁書だった『社会契約論』を密かに読んでいたからだろう、ということは「発見」されているわけで須賀、それこそ前掲書で指摘されていたような「数学的存在としての一般意志」という側面が再び頭をもたげるようで面白い経験でした。
ちなみに以前「憲法学者の9割以上が安保法を違憲と答えた」という報道を巡る議論がありましたが、この陪審定理でいけば、その「多数決」は正しい可能性が高いということになりますね、と著者が言っています。
http://toyotaka-sakai.hatenablog.com/entry/2015/09/22/012551

*1:この部分は前提と重複しま須賀

*2:n個選択肢がある場合、m番目に好ましい候補にn−m+1点を与えていく

*3:共和党主流派、もっと広げると自らへの批判票の割れで得をしているように見える2016年大統領予備選のトランプ氏は、恐らく歓迎しない方法でしょう

*4:投票者数が非常に大きくなる

*5:ルソーの考えでは、それこそが法案賛否の根拠となるべきである

*6:多数決の結果、ほぼ100%正しい方が勝つ