かぶとむしアル中

取材現場を離れて久しい新聞社員のブログ。 本の感想や旅行記(北朝鮮・竹島上陸など。最初の記事から飛べます)。

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現代日本に通じる古代ギリシアの教訓/『歴史』(トゥキュディデス、小西晴雄訳)

歴史 上 (ちくま学芸文庫)

歴史 上 (ちくま学芸文庫)

歴史 下 (ちくま学芸文庫)

歴史 下 (ちくま学芸文庫)

ペルシア戦争後にアテネとスパルタが古代ギリシア(ヘラス)世界を二分して争い、繁栄を極めたアテネ帝国*1を崩壊に至らしめたペロポネソス戦争の歴史を叙述したものです。と説明するより、世界史の教科書に出てきていたあれです、と言った方が話が早いかもしれません。えぇ、あれです。
読み進める中で、アテネペリクレスやニキアス、スパルタのブラシダスなど戦史に名を馳せた将軍たちの知略と運命を辿っていくのは興味深い作業でした。特に彼らの演説は、その厳密な意味での正確性に疑義はあるにせよ、彼らが当時どんなことを前提に、何を導き勝ち取ろうとしていたかのかが体感されて面白かったです。
ただそれ以上に意識したのは、ヘラス世界というある種の国際社会で展開された政治、という視点です。「国際社会」という呼び方は、複数の集団を一つの社会の構成員とみなすことが前提であるだけに、その構成員間に共有されているものが一定以上あってのものであるはずです。例えば、サバンナに棲むライオンとシマウマは、どの程度同じ社会のメンバーであると見なせるでしょうか。その点ヘラス世界の住人たちは、戦闘をしても休戦協定を結べば相手方の遺体を引き渡すとか、神殿に須賀って命乞いをした人間を殺さないとか、そういう規範をかなり強く共有している様子が描かれており、現代を生きる私達がその語を用いてもそう違和感のない関係性を築いていたようです。
それはさておき、まあその「国際関係」を観察しようというのが少なからずの政治学者の意図でありまして、その影響でそれが私の意図にもなったわけで須賀、そうして見てみても示唆深い出来事が多かったように思います。構造的な要因は種々あるにせよ、そもそも直接的に開戦に結びついたのは、ケルキュラというポリスが絡む言わば「局地戦」であり、ケルキュラと防衛的な同盟を結んだアテネが言わば巻き込まれる形で戦争の主役になっていく。この辺は第一次世界大戦⚫︎のようでもありますし、まさにその前段、英仏協商に踏み切るか否かでイギリスを躊躇させたのは、フランスが自分たちのケルキュラになりはしまいかという懸念でした。
アテネが介入して壊滅的な失敗を招いたシチリアは、アメリカにとってのベトナムソ連にとってのアフガンに比せられましょうし、押し返されて膠着したり、人が代わったタイミングで講和の機運が高まるーという事例も枚挙に暇がないでしょう。
個人的に特に興味深かったのは、同じような政体の都市同士が同盟を結ぼうとする傾向があったことです。ニキアス和平後の合従連衡期の記述もさることながら、窮地に陥ったアテネがペルシアの支援を得るために民主的政体を一時放棄した、なんて話も出てきまして、そうした選好性の強さが感じられます。
一方でその理由については、民主政より独裁政の都市の方が同盟相手として安定している、といったリアリズムっぽい見解が述べられている一方で、民主政同士のよしみを示唆するような箇所があったりもして、複合的なものも含めてどの辺が実相なのか計りかねる部分もありました。現代で言っても、アメリカの中東政策はこの二つの間を揺れてきた*2という側面もありますので、注目すべき論点の一つかもしれません。
…と、思いつくままに彼我の「国際関係」の共通性・類似性を挙げてきましたが、著者もある程度のそうした性質を伝えようと、筆を執ったということでもあるようです*3。「過去の出来事や、これに似たことは人間の通有性にしたがって再び将来にも起るものだということを明確に知ろうとする人には、この本を有益と充分に認めることができるであろう」「人間の本性が同じであるかぎり、強いか弱いかここが置かれた条件の変化によってその様相こそ変りはするが、過去に起きたことはまた将来にいつも起るものである」。先ほど作中の様々な演説のことにも触れましたが、そこにも演説を通じて教訓を得てほしいという著者の希望が込められている、と訳者は論じています。
「歴史は繰り返す」という命題の真偽そのものを論じてもあまり意味はないと思いま須賀、著者の言う通り、古代ギリシアの歴史からなにがしかを汲み取って、少なくともアテネの二の轍を踏まないように考え、自らの振る舞いに生かすべきであるとは言えるはずです。その流れでまたこんなことを言うと厭味っぽいかもしれませんが、最初にアテネをこの大戦争に引き込んだのはケルキュラのために行使した「防衛的な」集団的自衛権ではなかったでしょうか?

*1:言うまでもなくアテネはその民主政で知られていま須賀、一方でアテネ「帝国」という呼称もよく用いられます。恐らくこれは都市の政体ではなく、デロス同盟に君臨して他都市を程度の差こそあれ支配した対外関係に着目した言い方なのでしょう

*2:言うまでもなくブッシュ政権イラク戦争はこのロジックの延長線上にありますね

*3:その点は訳者が注意喚起しています