- 作者: 王丹,加藤敬事
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2014/01/08
- メディア: 文庫
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通読して最も印象的だったのは、毛沢東という人間の目的のためなら手段を選ばない(冷徹さというより)残虐性であり、猜疑心の強さであり、そしてまた政治的嗅覚の強さでありました。潜在的な反対派を炙り出すためにわざと「多様な意見を述べるべきだ」とぶち上げる(百家争鳴→反右派運動)という壮大な「釣り」を平気でやってのけるあたりは驚愕しましたし、有名な話ではありま須賀、劉少奇や彭徳懐、林彪といった彼の片腕たちは、ほかならぬ彼自身によって悉く粛清の憂き目に遭っています*2。さらに言えば、米中接近などで見られた「教条的と見せて意外なまでに実利主義的な」中国共産党のあり方も、彼の政治家としての思考法の影響のもとにあるのかもしれません。
極めつけに著者が示唆するのは、今を生きる中国の人たちの思考モデルをも、彼が強く拘束しているのではないか、という仮説です。著者は、文化大革命の恐ろしさは、(末端で加担した)人々の動機の純正さが欲するがままの行動を促し、それが大惨禍を生んだことだ―という趣旨のある学者の言を引き、こう続けます。「(この)心理状態は、『革命』の神聖性に庇護されて知らぬ間に成長し、国民性の中に浸透した。『革命』という言葉の破壊性は、制度や文化などさまざまな分野で、いまなお中国人の思考モデルを主導している」。
「動機の純正さが欲するがままの行動を促す」。著者はこのある種の「格率」を、自らが眼前にした六・四天安門事件での残虐な鎮圧行動と重ね合わせて理解しようとしていま須賀、私がこの言葉から連想したのは「愛国無罪」を掲げた反日デモでした。もし本当にここにまで毛沢東の「遺産」が及んでいるのだとすれば、「中華人民共和国史」とその先の展望を見る上で、この人そのものについてもっと知りたい。そう思わずにいられませんでした。伝記ものにもこだわりませんが、そういう関心だとどの辺が面白いんでしょうかね?